『四谷怪談』ゆかりの神社、実在のお岩が崇敬した邸内社とも
[住所]東京都新宿区左門町17
[電話]03-3351-4812 - 於岩稲荷陽運寺
四谷於岩稲荷田宮神社(よつやおいわいなりたみやじんじゃ)は、東京都新宿区左門町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
御先手同心田宮又兵衛(実名は田宮伊蔵)は娘お岩が一人のみだったので、婿養子として、浪人伊右衛門を入れた。
しかしお岩は大病を患い、すこぶる醜女となったので、これを嫌った伊右衛門は、隣家の伊藤家の妾と通じお岩につらく当って、これを殺した。寛永13年(1636年)のことと伝わる。
以降、田宮家や伊藤家に様々な怪奇があったので、四谷鮫ヶ橋南町の妙行寺の住職が追善供養をしてこの霊を鎮め、田宮邸のあとに於岩稲荷を建てた。
これが当社の創祀とされる。御祭神は豊受比売大神・田宮於岩命。ただし、この話は文化・文政年間(1804年-1831年)にまとまった『東海道四谷怪談』の話。
実際には、お岩は確かに実在したようで、夫である伊右衛門と仲睦まじく暮らしていたという。しかし、経済的に困窮し、家を再興するために夫婦ともども奉公に出た。
この時、お岩が信仰していたのが田宮家の庭に奉斎されていた屋敷社だったという。その御神徳もあってか、田宮家は見事に再興する。
それからというもの田宮家の屋敷社を参拝する人が絶えなくなり、やがて「お岩稲荷」と呼ばれるようになったという。
明治5年(1872年)ごろ、お岩神社を田宮稲荷と改称し、明治13年(1880年)に火災で一時中央区新川に移転したが、昭和27年(1952年)、再び当地に移転した。
中央区新川の旧地には現在も於岩稲荷田宮神社がある。また、妙行寺は今は豊島区西巣鴨4丁目に移り、お岩の墓もあって、得詮院妙念日正大姉という五輪塔の墓が存し、今なお参詣者が多い。
近隣には日蓮宗の於岩稲荷陽運寺があり、やはり「於岩稲荷」とだけ、呼ばれることがある。陽運寺とともに、当社も悪縁切り、復縁、縁結びのご利益があるとされるパワースポットとして知られている。
【ご利益】
良縁・縁結び、縁切り、復縁、商売繁盛
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・東京都の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、東京都に鎮座している神社の一覧
[電話]03-3351-4812 - 於岩稲荷陽運寺
四谷於岩稲荷田宮神社(よつやおいわいなりたみやじんじゃ)は、東京都新宿区左門町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
御先手同心田宮又兵衛(実名は田宮伊蔵)は娘お岩が一人のみだったので、婿養子として、浪人伊右衛門を入れた。
しかしお岩は大病を患い、すこぶる醜女となったので、これを嫌った伊右衛門は、隣家の伊藤家の妾と通じお岩につらく当って、これを殺した。寛永13年(1636年)のことと伝わる。
以降、田宮家や伊藤家に様々な怪奇があったので、四谷鮫ヶ橋南町の妙行寺の住職が追善供養をしてこの霊を鎮め、田宮邸のあとに於岩稲荷を建てた。
これが当社の創祀とされる。御祭神は豊受比売大神・田宮於岩命。ただし、この話は文化・文政年間(1804年-1831年)にまとまった『東海道四谷怪談』の話。
実際には、お岩は確かに実在したようで、夫である伊右衛門と仲睦まじく暮らしていたという。しかし、経済的に困窮し、家を再興するために夫婦ともども奉公に出た。
この時、お岩が信仰していたのが田宮家の庭に奉斎されていた屋敷社だったという。その御神徳もあってか、田宮家は見事に再興する。
それからというもの田宮家の屋敷社を参拝する人が絶えなくなり、やがて「お岩稲荷」と呼ばれるようになったという。
明治5年(1872年)ごろ、お岩神社を田宮稲荷と改称し、明治13年(1880年)に火災で一時中央区新川に移転したが、昭和27年(1952年)、再び当地に移転した。
中央区新川の旧地には現在も於岩稲荷田宮神社がある。また、妙行寺は今は豊島区西巣鴨4丁目に移り、お岩の墓もあって、得詮院妙念日正大姉という五輪塔の墓が存し、今なお参詣者が多い。
近隣には日蓮宗の於岩稲荷陽運寺があり、やはり「於岩稲荷」とだけ、呼ばれることがある。陽運寺とともに、当社も悪縁切り、復縁、縁結びのご利益があるとされるパワースポットとして知られている。
【ご利益】
良縁・縁結び、縁切り、復縁、商売繁盛
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