宮古島唯一の神社で、安土桃山期に熊野三神を勧請した古社、7月に夏まつり
[住所]沖縄県宮古島市平良字西里5-1
[電話]0980-72-6137
宮古神社(みやこじんじゃ)は、沖縄県宮古島市、宮古島にある神社。島唯一の神社で、狛犬がシーサー、本殿の屋根が沖縄風の赤瓦、石畳は琉球石灰岩と沖縄風味満載。参拝すれば、御朱印を頂ける。
御祭神は、熊野三神として、伊弉冉大神・速玉男之神・事解男之神、かつて宮古島を統治した豊見親三神として、與那覇恵源命・目黒盛定政命・仲宗根玄雅命。
安土桃山時代の天正18年(1590年)、沖縄本島の波上宮から熊野三神を勧請し、宮古権現堂を建立したのが始まり。
江戸時代になり、慶長16年(1611年)、薩摩藩による先島検地の際、上奏により瓦葺に改築された。以後、琉球処分に至るまで公費をもって管理された。
大正14年(1925年)に豊見親二柱を祀る町社としての宮古神社が創建された。
昭和15年(1940年)、紀元二千六百年記念事業として、当時荒廃していた両社を県社への昇格を目指し、奉賛会が組織された。
昭和16年(1941年)、宮古権現堂を宮古神社に改称。旧権現堂の宮古神社へ町社の宮古神社の二柱の神を増祀した。
境内地を現在地である西里5番地に移し、昭和19年(1944年)、遷座して、当社が正式に創建された。県社昇格は内定していたが、戦災で炎上。漲水御嶽に御祭神を遷祀した。
昭和31年(1956年)、目黒盛定政を増祀し、昭和55年(1980年)、西里1番地の旧地に本殿、拝殿を再興し、遷座祭を斎行した。
社殿の老朽化、宮古島市の誕生などの節目を迎え、平成19年(2008年)、御造営奉賛会が組織され、平成の造営に向けて活動が開始された。
平成22年(2010年)に、西里5番地に新社殿が竣工、遷座祭が斎行された。
神社本庁包括下の神社として、日本最南端の神社だとされる。ちなみに、全ての神社の中で日本最南端に鎮座するのは八重山郡竹富町に属する新城島上地島の人魚神社だとされる。
例祭は10月26日。7月20日前後の土日には宮古島夏まつりがある。
【ご利益】
健康長寿、身体壮健、夫婦和合、地域振興(公式HP)
【関連記事】
・沖縄県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、沖縄県に鎮座している神社の一覧
[電話]0980-72-6137
宮古神社(みやこじんじゃ)は、沖縄県宮古島市、宮古島にある神社。島唯一の神社で、狛犬がシーサー、本殿の屋根が沖縄風の赤瓦、石畳は琉球石灰岩と沖縄風味満載。参拝すれば、御朱印を頂ける。
御祭神は、熊野三神として、伊弉冉大神・速玉男之神・事解男之神、かつて宮古島を統治した豊見親三神として、與那覇恵源命・目黒盛定政命・仲宗根玄雅命。
安土桃山時代の天正18年(1590年)、沖縄本島の波上宮から熊野三神を勧請し、宮古権現堂を建立したのが始まり。
江戸時代になり、慶長16年(1611年)、薩摩藩による先島検地の際、上奏により瓦葺に改築された。以後、琉球処分に至るまで公費をもって管理された。
大正14年(1925年)に豊見親二柱を祀る町社としての宮古神社が創建された。
昭和15年(1940年)、紀元二千六百年記念事業として、当時荒廃していた両社を県社への昇格を目指し、奉賛会が組織された。
昭和16年(1941年)、宮古権現堂を宮古神社に改称。旧権現堂の宮古神社へ町社の宮古神社の二柱の神を増祀した。
境内地を現在地である西里5番地に移し、昭和19年(1944年)、遷座して、当社が正式に創建された。県社昇格は内定していたが、戦災で炎上。漲水御嶽に御祭神を遷祀した。
昭和31年(1956年)、目黒盛定政を増祀し、昭和55年(1980年)、西里1番地の旧地に本殿、拝殿を再興し、遷座祭を斎行した。
社殿の老朽化、宮古島市の誕生などの節目を迎え、平成19年(2008年)、御造営奉賛会が組織され、平成の造営に向けて活動が開始された。
平成22年(2010年)に、西里5番地に新社殿が竣工、遷座祭が斎行された。
神社本庁包括下の神社として、日本最南端の神社だとされる。ちなみに、全ての神社の中で日本最南端に鎮座するのは八重山郡竹富町に属する新城島上地島の人魚神社だとされる。
例祭は10月26日。7月20日前後の土日には宮古島夏まつりがある。
【ご利益】
健康長寿、身体壮健、夫婦和合、地域振興(公式HP)
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