越中富山の薬売りの祖神、神通川の名産「鱒の寿司」ゆかりの古社
[住所]富山県富山市鹿島町2-8-10
[電話]076-423-6321
鹿嶋神社(かしまじんじゃ、鹿島神社)は、富山県富山市鹿島町にある神社。主祭神は武甕槌命。大己貴命・少彦名命・前田正甫公命を配祀する。御朱印の有無は不明。
江戸時代直前の安土桃山時代末期に、現在の有沢に鹿嶋社として創建されたのが始まり。富山藩2代藩主前田正甫は、当社を産土神として特に崇敬し、現在地に遷座して藩の裏鬼門除け祈願所とし、当地開拓の礎とした。
当時は広大な境内地を有し、歴代藩主は万民の病気平癒・領民の健康長寿・医療の道(売薬業)の繁栄を祈願したという。
また、「柏の葉に乗って神通川を降ってこられた」との伝説もあり、樫葉大明神の別称も残る。民間信仰として「水」の御神徳が顕著で、「雨降ってござった柏さんの祭」と唄って御神徳を称えたといわれる。
前田正甫は、越中売薬(越中富山の薬売り・富山の売薬)の開祖ともされ、当社に祀られてよりは富山の殖産興業の祖神とされた。
慶安2年(1649年)に当時家老を勤めた近藤善右衛門長房の下屋敷で誕生した正甫は、その産湯の井戸が現社殿の東にあったと伝えられている。
正甫は生来病弱であったため、長じて薬学に精通し、反魂旦などの製薬業を奨励して諸国に広め、越中富山の売薬の基礎を固めた。
また、富山名産「鱒の寿司」とも関わりがある。起源は3代藩主前田利興の時代だとされ、鱒の一番脂の乗る時期が初夏、ちょうど当社の春祭りと時期が重なった。
そこで、神通川で川魚を商う当社の氏子たちが祭り寿司として、当時から盛んに作っていたという。
当社付近や、当社が兼務する諏訪川原の諏訪社、鵯島の神明神社の近くに、今も老舗の鱒寿司店が立ち並んでいる。
神通川のつながりからか、海上自衛隊の護衛艦「じんつう」の艦内神社に分祀したという。なお、日本海軍の軽巡洋艦「神通」の艦内神社は、射水神社などを勧請したとされ、鵜坂神社も守護神だったと伝わる。
例祭は5月11日・12日で、春季例大祭。11日には神輿渡御・獅子舞がある。10月11日・12日が秋季大祭で、12日は敬老祭。
【ご利益】
平穏安寧、開運招福、病気平癒、健康長寿、産業振興(公式HP)

【関連記事】
・艦内神社とは? - 日本特有の「恐怖の海」への対処法 - 自衛艦の艦内神社
・富山県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、富山県に鎮座している神社の一覧
[電話]076-423-6321
鹿嶋神社(かしまじんじゃ、鹿島神社)は、富山県富山市鹿島町にある神社。主祭神は武甕槌命。大己貴命・少彦名命・前田正甫公命を配祀する。御朱印の有無は不明。
江戸時代直前の安土桃山時代末期に、現在の有沢に鹿嶋社として創建されたのが始まり。富山藩2代藩主前田正甫は、当社を産土神として特に崇敬し、現在地に遷座して藩の裏鬼門除け祈願所とし、当地開拓の礎とした。
当時は広大な境内地を有し、歴代藩主は万民の病気平癒・領民の健康長寿・医療の道(売薬業)の繁栄を祈願したという。
また、「柏の葉に乗って神通川を降ってこられた」との伝説もあり、樫葉大明神の別称も残る。民間信仰として「水」の御神徳が顕著で、「雨降ってござった柏さんの祭」と唄って御神徳を称えたといわれる。
前田正甫は、越中売薬(越中富山の薬売り・富山の売薬)の開祖ともされ、当社に祀られてよりは富山の殖産興業の祖神とされた。
慶安2年(1649年)に当時家老を勤めた近藤善右衛門長房の下屋敷で誕生した正甫は、その産湯の井戸が現社殿の東にあったと伝えられている。
正甫は生来病弱であったため、長じて薬学に精通し、反魂旦などの製薬業を奨励して諸国に広め、越中富山の売薬の基礎を固めた。
また、富山名産「鱒の寿司」とも関わりがある。起源は3代藩主前田利興の時代だとされ、鱒の一番脂の乗る時期が初夏、ちょうど当社の春祭りと時期が重なった。
そこで、神通川で川魚を商う当社の氏子たちが祭り寿司として、当時から盛んに作っていたという。
当社付近や、当社が兼務する諏訪川原の諏訪社、鵯島の神明神社の近くに、今も老舗の鱒寿司店が立ち並んでいる。
神通川のつながりからか、海上自衛隊の護衛艦「じんつう」の艦内神社に分祀したという。なお、日本海軍の軽巡洋艦「神通」の艦内神社は、射水神社などを勧請したとされ、鵜坂神社も守護神だったと伝わる。
例祭は5月11日・12日で、春季例大祭。11日には神輿渡御・獅子舞がある。10月11日・12日が秋季大祭で、12日は敬老祭。
【ご利益】
平穏安寧、開運招福、病気平癒、健康長寿、産業振興(公式HP)

【関連記事】
・艦内神社とは? - 日本特有の「恐怖の海」への対処法 - 自衛艦の艦内神社
・富山県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、富山県に鎮座している神社の一覧

コメント