継体天皇が創祀した日本古来の四大明神・北の守護神、越前松平家の崇敬
[住所]福井県福井市毛矢3-8-1
[電話]0776-36-7800

毛谷黒龍神社(けやくろたつじんじゃ)は、福井県福井市にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「毛谷神社(越前国・坂井郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。

第26代継体天皇が越前に滞在していた折、日野・足羽・黒龍の三大河の治水工事をして越前平野を開拓した際、九頭竜川(龍川)とも呼ばれる北陸随一の大河だった黒龍川の守護のため、毛谷神社を創建したという。

御祭神は高龗大神闇龗大神。奈良時代直前、元明天皇の和銅元年(708年)9月20日、継体天皇の遺徳を景仰し、御霊の合祀が行われたという。

鎌倉時代末期、後醍醐天皇の元徳元年(1329年)6月1日、神託により越前守参議藤原国房が北ノ庄菩住山斎屋清水の上、足羽山に奉還。

同じく継体天皇ゆかりの神社である足羽神社もすぐ近くに鎮座する。もとの鎮座地とあわせて現社号が定着した。麓一帯は旧社号の毛矢町とも呼ばれたという。

なお、もとの鎮座地付近には舟橋黒龍神社があり、同社が当社の元宮の可能性がある。

天地の初めから国土を守護してきた四方位を象徴する御四柱の神の一社とされ、東に常陸鹿島大明神、南に紀伊熊野大明神、西に安芸厳島大明神と並ぶ、「北の越前黒龍大明神」として崇敬された。

『太平記』巻20黒丸城初度軍事付足羽度々軍事に「延元3年(1338年)5月2日一条ノ少将朝臣、五百余騎ニテ江守ヨリ押寄テ、黒龍の明神ノ前ニテ相戦フ」とあり、当社のこととされる。

江戸時代になり、慶長8年1月10日(1603年)、越前藩祖松平秀康は当社を越前松平家の祈願所とし、櫻井山(黒龍山)を寄進、社殿の造営などを進めた。

元禄3年5月(1690年)、越前福井藩第7代藩主松平吉品(松平昌親)は国家安泰と武運長久を祈願して神殿を山上に造営した。現在の藤島神社社地にあたる。

その後、明治8年12月10日(1875年)、現在地へ社殿の移築が行われ、敦賀県において郷社に列した。

明治33年(1900年)4月、福井市の橋南大火により社殿が類焼、明治38年(1905年)5月18日に再建、現在の本殿は昭和3年(1928年)、拝殿は昭和6年(1931年)に再建されたもの。

昭和52年(1977年)には、創立1500年式年大祭が斎行され、稚児行列などの各種の奉祝行事が行われた。

また、平成元年(1989年)には社殿修改築事業に着手し、八幡神社、恵比須神社、神楽殿の改築などが行われた。

海上自衛隊のAIP潜水艦「こくりゅう」の艦内神社に分祀したという。

4月19日・20日に春の大祭が、7月19・20日に夏祭が、9月19・20日に秋の大祭がある。黒龍厄除大祭は2月2日・3日の前直近の土日を含む3日間。

福もちまき神事もある十日えびす祭が1月9日・10日、11月20日にはえびす講による恵比須祭がある。

地元で「くろたつさん」と呼ばれ、恋愛力や行動力、想像力などの御守「力守り」の他、女性のための美と健康、開運の隆昌祈願「美顔成就」も随時受付けている。

なお、式内社「毛谷神社」の論社は他に、先の舟橋黒龍神社、同じく八重巻中町の白山神社がある。

【ご利益】
厄災除け、健康長寿、子授け・安産、商売繁盛(公式HP
毛谷黒龍神社 - 継体天皇が創祀した日本古来の四大明神・北の守護神、越前松平家の崇敬
【関連記事】
艦内神社とは? - 日本特有の「恐怖の海」への対処法 - 自衛艦の艦内神社
福井県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、福井県に鎮座している神社の一覧
毛谷黒龍神社の御朱印
こくりゅう - Wikipedia