8月の北のみやび「田名部まつり」、交易で栄えた青森下北半島の総鎮守
[住所]青森県むつ市田名部町1-1
[電話]0175-22-7470
田名部神社(たなぶじんじゃ)は、青森県むつ市田名部町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
鎮座地は下北半島の中心部にあたり、下北半島の総鎮守である。御祭神は、味耜高彦根命・誉田別命・宇曽利山大山祗大神・管下神社大神。
創立年代は不詳だが、一番古い資料として、南北朝時代の康永4年(1341年)の鰐口が残っている。
江戸時代初期の寛永12年(1635年)に書かれた『盛岡城事務日記』によれば、御祭神が宇都宮二荒山より万民守護のため宇曽利山に飛来したという。
ただし、味耜高彦根命であれば、同じ二荒山神社でも、日光市の方だと思うが。その点は不詳。ともかく。
その際は、大平村荒川一本松に鎮座したが、22代先別当・小笠原丹後が霊夢により田名部村に奉遷、神領100石、海辺総鎮守・北郡総鎮守・田名部大明神と称されたという。
かつては柳町の高台に鎮座していたが、元和2年(1616年)の火災により社殿・記録などを焼失。その後、明神町に遷座した。
毎年8月18日から20日に例大祭が行われる。「田名部まつり」として知られる。田名部の5町(横迎町・小川町・柳町・田名部町・新町)がそれぞれ一番から五番の山車を曳く。
江戸期には交易で栄えた当地だが、その背後には近江商人が関わっていたとされる。「田名部まつり」も近江に多く残る類似した山車祭の影響を受けているともされる。
遡れば、京都八坂神社の祇園祭の流れを汲むとされ、山車の形態、囃子にその痕跡が見てとれる。それゆえ「北のみやび」とも称される。県指定無形文化財。
海上自衛隊の護衛艦「まきなみ」、輸送艦「しもきた」の艦内神社に分祀したという。「しもきた」の艦内神社は他に、金刀比羅宮を勧請している。
【ご利益】
商売繁盛、地域・家内安全、厄災除け
【関連記事】
・艦内神社とは? - 日本特有の「恐怖の海」への対処法 - 自衛艦の艦内神社
・青森県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、青森県に鎮座している神社の一覧
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田名部神社(たなぶじんじゃ)は、青森県むつ市田名部町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
鎮座地は下北半島の中心部にあたり、下北半島の総鎮守である。御祭神は、味耜高彦根命・誉田別命・宇曽利山大山祗大神・管下神社大神。
創立年代は不詳だが、一番古い資料として、南北朝時代の康永4年(1341年)の鰐口が残っている。
江戸時代初期の寛永12年(1635年)に書かれた『盛岡城事務日記』によれば、御祭神が宇都宮二荒山より万民守護のため宇曽利山に飛来したという。
ただし、味耜高彦根命であれば、同じ二荒山神社でも、日光市の方だと思うが。その点は不詳。ともかく。
その際は、大平村荒川一本松に鎮座したが、22代先別当・小笠原丹後が霊夢により田名部村に奉遷、神領100石、海辺総鎮守・北郡総鎮守・田名部大明神と称されたという。
かつては柳町の高台に鎮座していたが、元和2年(1616年)の火災により社殿・記録などを焼失。その後、明神町に遷座した。
毎年8月18日から20日に例大祭が行われる。「田名部まつり」として知られる。田名部の5町(横迎町・小川町・柳町・田名部町・新町)がそれぞれ一番から五番の山車を曳く。
江戸期には交易で栄えた当地だが、その背後には近江商人が関わっていたとされる。「田名部まつり」も近江に多く残る類似した山車祭の影響を受けているともされる。
遡れば、京都八坂神社の祇園祭の流れを汲むとされ、山車の形態、囃子にその痕跡が見てとれる。それゆえ「北のみやび」とも称される。県指定無形文化財。
海上自衛隊の護衛艦「まきなみ」、輸送艦「しもきた」の艦内神社に分祀したという。「しもきた」の艦内神社は他に、金刀比羅宮を勧請している。
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