新田義貞の直系が明治期に金山城址に創建した神社、皇室とゆかり
[住所]群馬県太田市金山町40-44
[電話]0276-22-2248
新田神社(にったじんじゃ)は、群馬県太田市金山町にある神社。近代社格では県社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
市の北にある金山の山頂付近の金山城址に鎮座する。金山城址は国の史跡。樹齢800年以上の大ケヤキが立つ境内からは関東平野が一望できる。
南北朝時代の武将である新田義貞を祀る。金山城主横瀬氏(由良氏)は新田義貞の直系であるとされる。
新田義貞の裔孫である新田俊純は、地方有志と謀り、明治6年(1873年)に神社創立の許可を得て、明治8年(1875年)には社殿を建築し、現社号の神社を創建した。
明治9年(1876年)に県社に列せられ、明治18年(1885年)10月25日と翌明治19年(1886年)10月29日に明治天皇の皇后(昭憲皇太后)が参拝、幣帛料を奉納した。
明治21年(1888年)10月22日、皇太后(英照皇太后)は使者を遣わし、幣帛料を奉納、代拝させ、明治25年(1892年)10月17日には皇太子(後の大正天皇)が参拝している。
明治42年(1909年)11月7日、皇孫殿下(後の昭和天皇)が学習院時代に当社を参拝している。皇室とのゆかりが深く、社殿の右側には天皇家が腰掛けた腰掛石がある。
日本海軍の航空母艦「冲鷹」の艦内神社に分祀したと伝わる。出陣式と呼ばれる、甲冑を身にまとった氏子崇敬者らによる神事がある。
境内には御嶽神社と梅若稲荷神社がある。
新田義貞を祀る神社としては、兜鉢が見つかった福井県福井市の藤島神社があり、旗揚げ地として生品神社がある。
【ご利益】
武運長久・勝運、子孫・一族繁栄、諸願成就
【関連記事】
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[電話]0276-22-2248
新田神社(にったじんじゃ)は、群馬県太田市金山町にある神社。近代社格では県社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
市の北にある金山の山頂付近の金山城址に鎮座する。金山城址は国の史跡。樹齢800年以上の大ケヤキが立つ境内からは関東平野が一望できる。
南北朝時代の武将である新田義貞を祀る。金山城主横瀬氏(由良氏)は新田義貞の直系であるとされる。
新田義貞の裔孫である新田俊純は、地方有志と謀り、明治6年(1873年)に神社創立の許可を得て、明治8年(1875年)には社殿を建築し、現社号の神社を創建した。
明治9年(1876年)に県社に列せられ、明治18年(1885年)10月25日と翌明治19年(1886年)10月29日に明治天皇の皇后(昭憲皇太后)が参拝、幣帛料を奉納した。
明治21年(1888年)10月22日、皇太后(英照皇太后)は使者を遣わし、幣帛料を奉納、代拝させ、明治25年(1892年)10月17日には皇太子(後の大正天皇)が参拝している。
明治42年(1909年)11月7日、皇孫殿下(後の昭和天皇)が学習院時代に当社を参拝している。皇室とのゆかりが深く、社殿の右側には天皇家が腰掛けた腰掛石がある。
日本海軍の航空母艦「冲鷹」の艦内神社に分祀したと伝わる。出陣式と呼ばれる、甲冑を身にまとった氏子崇敬者らによる神事がある。
境内には御嶽神社と梅若稲荷神社がある。
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