イザナギの禊神話ゆかりの地、12月に大淀川の冷水でのみそぎ祓
[住所]宮崎県宮崎市鶴島3-93
[電話]0985-23-6684
小戸神社(おどじんじゃ)は、宮崎県宮崎市鶴島にある神社。ひむか神話街道100の伝承地の一つで、第56番。参拝すれば、御朱印を頂ける。
江田神社・住吉神社とともに、伊弉諾大神の禊ぎの神話にまつわる神社で、昔から海の神、航海の神として信仰されてきた。
また、全国のすべての神社で奏上される「祓詞」にもあるように、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原にて禊祓をされた神を祀るため、厄災除けの信仰も集める。
第12代景行天皇の勅によって創建されたと伝わる。古くは今の大塚地区と下北方地区との間の三角州、すなわち旧宮崎市街地全域を小戸と称した。
「筑紫の日向の橘の小戸」の地名そのままに太古伊弉諾大神が禊祓をした地であり、天照皇大神をはじめ、諸貴神誕生の聖地、とされる。近くには岩ヶ瀬水神神社もある。
旧称を「小戸大明神」といい、室町時代の文明5年(1473年)、都於郡城主伊東祐尭が社殿を改築、神領30町を有したという。
「小戸さま」として親しまれたが、永禄年間(1558年-1570年)・天正年間(1573年-1593年)の相次ぐ戦乱により宝物・旧記などを失った。
江戸時代になっても寛文2年(1662年)の外所地震(西海大地震)のため、上別府の大渡の上に移転・奉遷、翌3年(1663年)には上野邑(上野町)に遷座した。
ちなみに、西海大地震に関する伝承は一葉稲荷神社にも伝わる。
享保3年(1718年)には延岡藩主牧野氏より新たに社地を寄進されるなど、藩主の庇護を受け神殿・拝殿を修復、社殿を再興している。
明治維新後に現社号に改称した。昭和7年(1932年)に橘通り拡張により、大淀川の辺りの現社地へ遷座し、昭和9年(1934年)5月27日に竣工、本殿正遷座祭が斎行された。
日本海軍の軽巡洋艦「大淀」の艦内神社に分祀したとの説があるが、確証はない。
ただし、艦艇を擬人化したキャラクタである艦娘(かんむす)を強化・育成、正体不明の敵艦を撃破していくゲーム・アニメ『艦これ』ファンの聖地の一つになっている。
また、その名を引き継いだ海上自衛隊の護衛艦「おおよど」の艦内神社に分祀しているという。
[電話]0985-23-6684
小戸神社(おどじんじゃ)は、宮崎県宮崎市鶴島にある神社。ひむか神話街道100の伝承地の一つで、第56番。参拝すれば、御朱印を頂ける。
江田神社・住吉神社とともに、伊弉諾大神の禊ぎの神話にまつわる神社で、昔から海の神、航海の神として信仰されてきた。
また、全国のすべての神社で奏上される「祓詞」にもあるように、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原にて禊祓をされた神を祀るため、厄災除けの信仰も集める。
第12代景行天皇の勅によって創建されたと伝わる。古くは今の大塚地区と下北方地区との間の三角州、すなわち旧宮崎市街地全域を小戸と称した。
「筑紫の日向の橘の小戸」の地名そのままに太古伊弉諾大神が禊祓をした地であり、天照皇大神をはじめ、諸貴神誕生の聖地、とされる。近くには岩ヶ瀬水神神社もある。
旧称を「小戸大明神」といい、室町時代の文明5年(1473年)、都於郡城主伊東祐尭が社殿を改築、神領30町を有したという。
「小戸さま」として親しまれたが、永禄年間(1558年-1570年)・天正年間(1573年-1593年)の相次ぐ戦乱により宝物・旧記などを失った。
江戸時代になっても寛文2年(1662年)の外所地震(西海大地震)のため、上別府の大渡の上に移転・奉遷、翌3年(1663年)には上野邑(上野町)に遷座した。
ちなみに、西海大地震に関する伝承は一葉稲荷神社にも伝わる。
享保3年(1718年)には延岡藩主牧野氏より新たに社地を寄進されるなど、藩主の庇護を受け神殿・拝殿を修復、社殿を再興している。
明治維新後に現社号に改称した。昭和7年(1932年)に橘通り拡張により、大淀川の辺りの現社地へ遷座し、昭和9年(1934年)5月27日に竣工、本殿正遷座祭が斎行された。
日本海軍の軽巡洋艦「大淀」の艦内神社に分祀したとの説があるが、確証はない。
ただし、艦艇を擬人化したキャラクタである艦娘(かんむす)を強化・育成、正体不明の敵艦を撃破していくゲーム・アニメ『艦これ』ファンの聖地の一つになっている。
また、その名を引き継いだ海上自衛隊の護衛艦「おおよど」の艦内神社に分祀しているという。
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