日本武尊が賊退治で矢を作らせた地、10月例祭には山車の巡行も
[住所]愛知県岡崎市矢作町字宝珠庵1
[電話]0564-31-6174
矢作神社(やはぎじんじゃ)は、愛知県岡崎市矢作町にある神社。近代社格では郷社。参拝すれば、御朱印を頂ける。書き置きが置いてあるという。
由緒は、第12代景行天皇の時代、日本武尊が東夷征伐にさかのぼる。日本武尊は、地元の民から賊の退治を依頼されたので、矢を作る職人である矢作部たちに矢を作るよう命じた。
しかし、矢を作るための竹は川の中州にあったが、川の流れは速く、矢作部たちは竹の生えている中州まで行けなかった。
そこへ一匹の蝶が現れ人の姿となり、竹を切り取ってきた。矢作部たちはこの竹を用いて1万本の矢を作った。
日本武尊は素戔嗚尊を祀り、賊を討ち果たしたという。この矢竹の一部が、現在も当社に残る矢竹やぶで、当然、当社名もこの故事にちなむ。
平安時代の永保3年(1083年)、源義家が陸奥守として奥州に向かう途中、日本武尊の故事にならい、当社を参拝したと伝わる。
南北朝時代の建武2年(1335年)、新田義貞が足利尊氏との戦で戦勝祈願を行った際、当社前にあった石が唸ったという。
義貞はこれを神の加護と信じて戦い、新田方が勝利を収めたといわれる。この時の石がうなり石と呼ばれ、矢竹とともに現在も祀られている。
建徳・文中年間(1370年-1375年)には、兵火により社殿などが焼失。その後、天文年間(1532年-1555年)、岡崎城主松平広忠が現在の矢作町字祇園に再建したという。
しかし、天正年間(1573年-1593年)に堤防決潰により流失。その後、神殿を宝珠稲荷(豊受大神・保食神)に合祀した。江戸時代の享和3年(1802年)の『村差出帳』には「牛頭天王」と記されている。
第一次世界大戦後、日本海軍の防護巡洋艦「矢矧」の艦長以下乗員一同が参拝し、「矢矧」の模型が奉納された。また、「矢矧」の艦内神社に分祀。軽巡洋艦にも同名艦があるが、こちらとの関係は不詳とされる。
第二次世界大戦中に活躍した日本海軍の艦艇を擬人化したキャラクタである艦娘(かんむす)を強化・育成、正体不明の敵艦を撃破していくゲーム・アニメ『艦これ』ゆかり。
例祭は10月1日・2日で、秋の大祭。週末に重なる年は、勇壮な山車の引き回しが行われる。矢作町の4区に1台ずつ山車があったが、現在は江戸末期の作という2台のみ。
祭りが週末にかからない場合も多く、後世に伝えていけない可能性があるとして、日をずらして、山車の巡行だけを行うなどの取り組みが行われている。
江戸時代から明治時代にかけての矢作神社絵馬群(12点)が市の有形民俗文化財に指定されている。
【ご利益】
五穀豊穣・商売繁盛、病気平癒、武運長久・勝運

【関連記事】
・艦内神社とは? - 「恐怖の海」への対処法 - 日本海軍の艦内神社 - 艦娘たちの守護神
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[電話]0564-31-6174
矢作神社(やはぎじんじゃ)は、愛知県岡崎市矢作町にある神社。近代社格では郷社。参拝すれば、御朱印を頂ける。書き置きが置いてあるという。
由緒は、第12代景行天皇の時代、日本武尊が東夷征伐にさかのぼる。日本武尊は、地元の民から賊の退治を依頼されたので、矢を作る職人である矢作部たちに矢を作るよう命じた。
しかし、矢を作るための竹は川の中州にあったが、川の流れは速く、矢作部たちは竹の生えている中州まで行けなかった。
そこへ一匹の蝶が現れ人の姿となり、竹を切り取ってきた。矢作部たちはこの竹を用いて1万本の矢を作った。
日本武尊は素戔嗚尊を祀り、賊を討ち果たしたという。この矢竹の一部が、現在も当社に残る矢竹やぶで、当然、当社名もこの故事にちなむ。
平安時代の永保3年(1083年)、源義家が陸奥守として奥州に向かう途中、日本武尊の故事にならい、当社を参拝したと伝わる。
南北朝時代の建武2年(1335年)、新田義貞が足利尊氏との戦で戦勝祈願を行った際、当社前にあった石が唸ったという。
義貞はこれを神の加護と信じて戦い、新田方が勝利を収めたといわれる。この時の石がうなり石と呼ばれ、矢竹とともに現在も祀られている。
建徳・文中年間(1370年-1375年)には、兵火により社殿などが焼失。その後、天文年間(1532年-1555年)、岡崎城主松平広忠が現在の矢作町字祇園に再建したという。
しかし、天正年間(1573年-1593年)に堤防決潰により流失。その後、神殿を宝珠稲荷(豊受大神・保食神)に合祀した。江戸時代の享和3年(1802年)の『村差出帳』には「牛頭天王」と記されている。
第一次世界大戦後、日本海軍の防護巡洋艦「矢矧」の艦長以下乗員一同が参拝し、「矢矧」の模型が奉納された。また、「矢矧」の艦内神社に分祀。軽巡洋艦にも同名艦があるが、こちらとの関係は不詳とされる。
第二次世界大戦中に活躍した日本海軍の艦艇を擬人化したキャラクタである艦娘(かんむす)を強化・育成、正体不明の敵艦を撃破していくゲーム・アニメ『艦これ』ゆかり。
例祭は10月1日・2日で、秋の大祭。週末に重なる年は、勇壮な山車の引き回しが行われる。矢作町の4区に1台ずつ山車があったが、現在は江戸末期の作という2台のみ。
祭りが週末にかからない場合も多く、後世に伝えていけない可能性があるとして、日をずらして、山車の巡行だけを行うなどの取り組みが行われている。
江戸時代から明治時代にかけての矢作神社絵馬群(12点)が市の有形民俗文化財に指定されている。
【ご利益】
五穀豊穣・商売繁盛、病気平癒、武運長久・勝運

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