奈良期からの聖地・妙高山三社大権現、空海ゆかり、7月に火を使わない火祭り
[住所]新潟県妙高市関山4804
[電話]0255-82-2464
関山神社(せきやまじんじゃ、關山神社)は、新潟県妙高市関山にある神社。『延喜式神名帳』にある「大神社(越後国・頸城郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
御朱印も含め、現在は神職などが常駐はしていないようで、関係者がいれば、各種対応はしていただけるとのこと。
御祭神は中尊が国常立尊(聖観世音菩薩)、左尊が伊弉冊尊(十一面観世音菩薩)、右尊が素盞鳴尊(文珠菩薩)。
往古より妙高山村関山三社大権現と称されていた。古来妙高山は、裸形上人によって開かれ、仏の山とされていた。
神奈山には神が坐し、奈良時代直前の和銅元年(708年)、悪疫流行の年を選び、麓の関山村に里宮として前記の三神が勧請された。
平安時代になり、嵯峨天皇の御代、大同5年・弘仁元年(810年)、弘法大師(空海)が、諸国廻歴の折り、その神威を観窺し、帰京後帝へ奏上、壮麗な社殿を再建する。
更に僧坊72区を栄築し、大いに仏徳を発揚したという。しかし、戦国時代、天正6年(1578年)の御館の乱の戦火により焼失した。
江戸時代になり、俊海法印が天海上人を通じ、関山霊社を中興しようと、徳川幕府に懇願した。
徳川家康の命により、大久保石見守が境内を検分、社領100石の御朱印を下し、妙高山はじめ五山とも山林竹木諸役免除を申し付けられ、再び旧時の盛観を得た。
社殿は、文化5年(1808年)に広く浄財の寄進を得て建築された。
その寄進の範囲は、高田市、直江津町、新井町はじめ中頚城一円、新潟市、刈羽郡、魚沼郡、東頚城郡、西頚城郡、戸隠、野尻、針ノ木、飯山町、牟礼、柴津村、富臓村、長野市、野沢、古間の広い範囲だった。
明治維新により、朱印地は悉く上地を命じられ、神仏混合が禁じられたため、別当宝蔵院を廃し、明治元年(1868年)10月18日、現社号に改称した。
明治6年(1873年)3月、村社に列し、昭和6年(1931年)7月13日、県社に昇格した。
日本海軍の重巡洋艦「妙高」の艦内神社に分祀。拝殿には、妙高の写真額・妙高会の軍艦旗なども奉納され、境内には軍艦妙高記念碑がある。
第二次世界大戦中に活躍した日本海軍の艦艇を擬人化したキャラクタである艦娘(かんむす)を強化・育成、正体不明の敵艦を撃破していくゲーム・アニメ『艦これ』ゆかり。
なお、「妙高」の艦内神社は他に、伊勢の神宮(伊勢神宮)の皇大神宮を勧請したとも。その名を引き継いだ海上自衛隊のミサイル護衛艦「みょうこう」の艦内神社にも分祀しているという。
奈良期からの聖地であることは間違いないものの、式内社「大神社」への比定には疑問を持たれることがある。
論社も多く、糸魚川市一の宮の天津神社、同市平の大神社、同市大野の大野神社、同市藤崎の藤崎神社、上越市吉川区の大神社がある。
例祭は7月18日。その前日と含め、火祭りとして知られ、妙高山信仰から生まれた祭典であり、創建間もなく以来の伝統を誇るという。
仮山伏しの棒術と松引きの行事が特徴で、太刀・槍・薙刀を用いて武技の型を演じる。その他、神輿渡御、奉納相撲が氏子若者会の手によって行われる。
他の神社などに伝わる火祭りのような、火を大々的に使ったものではない。あくまでも、自社を防衛するための訓練であり、演武だといわれている。
参道の神池の中に亀石がある。他に、座禅石・夜具石・要石などもある。
【ご利益】
身体壮健、健康長寿、地域・家内安全
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関山神社(せきやまじんじゃ、關山神社)は、新潟県妙高市関山にある神社。『延喜式神名帳』にある「大神社(越後国・頸城郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
御朱印も含め、現在は神職などが常駐はしていないようで、関係者がいれば、各種対応はしていただけるとのこと。
御祭神は中尊が国常立尊(聖観世音菩薩)、左尊が伊弉冊尊(十一面観世音菩薩)、右尊が素盞鳴尊(文珠菩薩)。
往古より妙高山村関山三社大権現と称されていた。古来妙高山は、裸形上人によって開かれ、仏の山とされていた。
神奈山には神が坐し、奈良時代直前の和銅元年(708年)、悪疫流行の年を選び、麓の関山村に里宮として前記の三神が勧請された。
平安時代になり、嵯峨天皇の御代、大同5年・弘仁元年(810年)、弘法大師(空海)が、諸国廻歴の折り、その神威を観窺し、帰京後帝へ奏上、壮麗な社殿を再建する。
更に僧坊72区を栄築し、大いに仏徳を発揚したという。しかし、戦国時代、天正6年(1578年)の御館の乱の戦火により焼失した。
江戸時代になり、俊海法印が天海上人を通じ、関山霊社を中興しようと、徳川幕府に懇願した。
徳川家康の命により、大久保石見守が境内を検分、社領100石の御朱印を下し、妙高山はじめ五山とも山林竹木諸役免除を申し付けられ、再び旧時の盛観を得た。
社殿は、文化5年(1808年)に広く浄財の寄進を得て建築された。
その寄進の範囲は、高田市、直江津町、新井町はじめ中頚城一円、新潟市、刈羽郡、魚沼郡、東頚城郡、西頚城郡、戸隠、野尻、針ノ木、飯山町、牟礼、柴津村、富臓村、長野市、野沢、古間の広い範囲だった。
明治維新により、朱印地は悉く上地を命じられ、神仏混合が禁じられたため、別当宝蔵院を廃し、明治元年(1868年)10月18日、現社号に改称した。
明治6年(1873年)3月、村社に列し、昭和6年(1931年)7月13日、県社に昇格した。
日本海軍の重巡洋艦「妙高」の艦内神社に分祀。拝殿には、妙高の写真額・妙高会の軍艦旗なども奉納され、境内には軍艦妙高記念碑がある。
第二次世界大戦中に活躍した日本海軍の艦艇を擬人化したキャラクタである艦娘(かんむす)を強化・育成、正体不明の敵艦を撃破していくゲーム・アニメ『艦これ』ゆかり。
なお、「妙高」の艦内神社は他に、伊勢の神宮(伊勢神宮)の皇大神宮を勧請したとも。その名を引き継いだ海上自衛隊のミサイル護衛艦「みょうこう」の艦内神社にも分祀しているという。
奈良期からの聖地であることは間違いないものの、式内社「大神社」への比定には疑問を持たれることがある。
論社も多く、糸魚川市一の宮の天津神社、同市平の大神社、同市大野の大野神社、同市藤崎の藤崎神社、上越市吉川区の大神社がある。
例祭は7月18日。その前日と含め、火祭りとして知られ、妙高山信仰から生まれた祭典であり、創建間もなく以来の伝統を誇るという。
仮山伏しの棒術と松引きの行事が特徴で、太刀・槍・薙刀を用いて武技の型を演じる。その他、神輿渡御、奉納相撲が氏子若者会の手によって行われる。
他の神社などに伝わる火祭りのような、火を大々的に使ったものではない。あくまでも、自社を防衛するための訓練であり、演武だといわれている。
参道の神池の中に亀石がある。他に、座禅石・夜具石・要石などもある。
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