平安期創祀の北海道最古の神社、明治期に刈田嶺・金比羅を合祀
[住所]北海道登別市中央町6-24-1
[電話]0143-85-2460
刈田神社(かったじんじゃ)は、北海道登別市中央町にある神社。近代社格では郷社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
平安時代、眼病を患っていた和人(アイヌの立場から見た、アイヌ以外の日本人)が渡来、アイヌ人に教わり温泉で目を洗ったところ、眼病が快癒した。
その和人は、妙見菩薩の加護ではあるまいか、と感謝の意を込めて祠を建てた、という伝承がある。北海道最古の神社ともされる所以。
江戸時代の天明6年(1786年)、幌別郡(現 登別市)が松前藩士細田儀右衛門の給地に指定されたのを契機に、妙見菩薩の祠を再建、胆振地方の鎮守社とするため保食神を合祀し、妙見稲荷社と称した。
明治3年(1870年)、白石藩城主片倉小十郎邦憲が家臣150余名を従え、幌別郡へ移住、片倉氏の総守護神刈田嶺神社(白鳥大明神)の御祭神である日本武尊の御分霊を奉じて合祀し、幌別郡開拓の守護神とした。
明治4年(1871年)、社殿を幌別村字浜70番地(現 幌別町1丁目)に新たに建立し、現社号に改称。明治6年(1873年)、四国からの開拓者が讃岐金刀比羅宮(大物主神)の御分霊を奉じて合祀した。
明治8年(1875年)に郷社に列し、明治14年(1881年)には現在地に遷座、明治15年(1882年)には、神饌幣帛料供進神社に指定された。
例祭は8月23日。9月第1日曜日に神幸祭があり、1日かけて市内を神輿渡御する。
境内末社に、三貴子神社(天照皇大御神・須佐之男命・月讀命)、大山祇神社(天之御中主大神・大山祇大神・少彦名命・大己貴神)がある。
【ご利益】
五穀豊穣・商売繁盛、海上安全・火難除け、国土安穏・出世・交通安全など(公式HP)

【関連記事】
・北海道の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、北海道に鎮座している神社の一覧
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刈田神社(かったじんじゃ)は、北海道登別市中央町にある神社。近代社格では郷社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
平安時代、眼病を患っていた和人(アイヌの立場から見た、アイヌ以外の日本人)が渡来、アイヌ人に教わり温泉で目を洗ったところ、眼病が快癒した。
その和人は、妙見菩薩の加護ではあるまいか、と感謝の意を込めて祠を建てた、という伝承がある。北海道最古の神社ともされる所以。
江戸時代の天明6年(1786年)、幌別郡(現 登別市)が松前藩士細田儀右衛門の給地に指定されたのを契機に、妙見菩薩の祠を再建、胆振地方の鎮守社とするため保食神を合祀し、妙見稲荷社と称した。
明治3年(1870年)、白石藩城主片倉小十郎邦憲が家臣150余名を従え、幌別郡へ移住、片倉氏の総守護神刈田嶺神社(白鳥大明神)の御祭神である日本武尊の御分霊を奉じて合祀し、幌別郡開拓の守護神とした。
明治4年(1871年)、社殿を幌別村字浜70番地(現 幌別町1丁目)に新たに建立し、現社号に改称。明治6年(1873年)、四国からの開拓者が讃岐金刀比羅宮(大物主神)の御分霊を奉じて合祀した。
明治8年(1875年)に郷社に列し、明治14年(1881年)には現在地に遷座、明治15年(1882年)には、神饌幣帛料供進神社に指定された。
例祭は8月23日。9月第1日曜日に神幸祭があり、1日かけて市内を神輿渡御する。
境内末社に、三貴子神社(天照皇大御神・須佐之男命・月讀命)、大山祇神社(天之御中主大神・大山祇大神・少彦名命・大己貴神)がある。
【ご利益】
五穀豊穣・商売繁盛、海上安全・火難除け、国土安穏・出世・交通安全など(公式HP)

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