急峻な石段、ヒグマ、崖…北海道で一番危険な神社は、室町期創建の古社
[住所]北海道久遠郡せたな町大成区太田17
[電話]0137-84-5111

太田山神社(おおたさんじんじゃ)は、北海道久遠郡せたな町にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

北海道本土で最も西に位置する神社で、道南五大霊場の一つとされている。地元では太田神社または太田の神社とも呼ばれ、猿田彦大神を祀る。例祭は6月28日。

太田山の中腹にあり、社殿までの道程は急勾配の階段を始め、両側に設置されたロープを使わなければ登れない、降りられないほどの山道である。

北海道道740号北檜山大成線沿いに最初の鳥居が建っているが、そこからは平均45度の斜度を持つ急峻で、長い石段が現れる。

それを過ぎると草木の生い茂る獣道にも似た山道や足場が続く。付近一帯はヒグマ、ブヨ・蚊・ハチやマムシに遭うことがあり注意・対策が必要。

途中には仏像が置かれた大石や女人堂があり、山道の最後に高さ7メートルはある北尋坊の崖がある。そこに設置された鉄輪とロープを使って登ったところに本殿が建っている。

北海道で一番危険な神社、あるいは日本で一番危険な神社とも言われる当社は、北海道でも一、二を争う古社でもある。

室町時代の嘉吉年間(1441年-1443年)に創立されたと伝えらる。享徳3年(1454年)に松前藩祖、武田信広らが太田に上陸した際に太田大権現の尊号を賜わり、以来、航海の安全と霊神の加護として信仰された。

寛文年間(1661年-1673年)、美濃国の僧円空がこの地を訪れ修行をし、多くの仏像を彫ったと伝えられている。

甲斐国出身の木食僧である木喰は、安永7年(1778年)6月に弟子の木食白道とともに蝦夷地を訪問、安永9年(1780年)5月まで滞在している。

木喰は蝦夷地において造像活動を始めたともされ、当社で円空仏を実見したことがきっかけともされている。白道は『木食白導一代記』において、当社訪問を記録している。

寛政元年(1789年)、菅江真澄が太田山に登り記録を残す。宝永元年(1704年)には正光空念が納経する。

明治4年(1871年)、神仏分離令により、太田山山麓に大日堂を建立して当社に奉納されていた大日如来などの仏像を移した。

大正11年(1922年)、山ごと火災になり、本殿、仏像が焼失。本殿が再建されるとともに女人堂を新築する。

平成27年(2015年)10月25日放送の『乃木坂工事中』で、13枚目シングル「今、話したい誰かがいる」のヒット祈願で秋元真夏、生田絵梨花、西野七瀬、深川麻衣が参拝した。

【ご利益】
身体壮健、海上・交通安全、旅行安全
太田山神社 - 急峻な石段、ヒグマ、崖…北海道で一番危険な神社は、室町期創建の古社
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太田山神社の御朱印