加藤清正が創祀、岡藩主が八幡神を勧請、江戸中期の楼門が現存
丸山神社(大分県大分市今市2568)
[住所]大分県大分市今市2568
[電話]097-588-1111

丸山神社(まるやまじんじゃ)は、大分県大分市にある神社。今市の西部の上町の小高い丘上に鎮座する。丸山八幡神社とも。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。

江戸時代の慶長15年(1610年)に熊本藩藩主の加藤清正が、参勤交代の長旅の安全を祈願して、菅原道真公を勧請した天満社を創立したことに始まるという。

社前を肥後(豊後)街道が通るが、当社付近から660メートルにわたって平石が敷き詰められた古道は今市石畳とも呼ばれ、「参勤交代道路」として県の史跡に指定されている。

万治3年(1660年)、岡藩主中川久清が京から熊沢蕃山を招き、久清自ら三佐に上陸した蕃山を出迎えて10月2日に今市の庄屋佐藤三吾兵衛善次の屋敷に1泊した。

その際、三吾兵衛が久清に八幡社の建立を願い出、その許可を得て寛文3年(1663年)に米納の城原八幡社の御分霊を勧請して天満社境内に八幡社を創祀した。

応神天皇景行天皇神功皇后仲哀天皇が奉斎された。八幡神に景行天皇が加わるのは珍しい例だが、勧請元の城原八幡社の特徴だといえる。

それ以降、中川氏が八幡社へ参勤交代の都度道中の安全と領民の繁栄を祈念したために天満社は影を潜めたといい、江戸時代を通じて「丸山八幡」と称された。

貞享5年(1688年)に本社拝殿と舞殿、鳥居の修復が、元禄14年(1701年)に神輿殿と鐘堂の修復が岡藩により行われた。

また、江戸時代中期の享保5年(1720年)には今市の豪商である小倉屋松田庄右衛門尉長次によって楼門が寄進された。

日暮し門ともいわれるこの楼門は現存し、十二支の動物や二十四孝の人物の彫刻があり、現在は市の有形文化財に指定されている。

明治2年(1869年)に藩命により天満社を合祀して現社号に改称、明治5年(1872年)、村社に列した。

明治13年(1880年)、字日向師と字歳の神の2所の大歳命を、字城山の大己貴命を、上白家と屋敷の上の2所の菅原道真公を、字山神の3所の大山祇命を、平連石と尾崎と押の尾の大山祇命を、下白家と柳井水の高龗命を、字丸山と字下次郎の稲倉魂命を合祀した。

例祭は4月20日で、西暦偶数年の9月14・15日には今市下町のお旅所までの神幸祭が行われる。神幸祭では白家の神楽が奉納される。

白家の神楽は豊後大野市の浅草八幡社に伝わる浅草神楽の流れを汲む。明治10年(1877年)ごろに当地にも定着した。

もとは当社に合祀された別の神社に奉納されていたが、合祀後に当社に奉納されるようになった。なお、浅草神楽は御嶽神楽流の岩戸神楽である。

【ご利益】
旅行・交通安全、学業・受験合格、厄災除け、諸願成就
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