奈良期創建の備後国分寺の守護神、毛利元就が再建、歴代領主の崇敬社
[住所]広島県福山市神辺町下御領1084
[電話]084-966-0450
下御領八幡神社(しもごりょうはちまんじんじゃ)は、広島県福山市神辺町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
御祭神は、誉田別命・息長足姫命、田心姫命・湍津姫命・市杵姫命の宗像三女神。例祭はもともと旧暦10月15日だったが、現在は10月第1日曜日。
奈良時代の天平年間(729年-749年)の創立と伝えられ、宇佐八幡宮を勧請し、国分寺の鎮守社と位置付けられた。
備前国分寺の守護神、いわゆる国分八幡宮の一つ。備前国の一国一社の八幡宮、国府八幡宮は府中市出口町の府中八幡神社とされる場合が多いが、不明な点も多い。
当社の場合、下記のように歴代の近郷領主から崇敬されている。
応仁の乱(1467年-1477年)後に社殿が大破し、山名忠勝が永正年間(1504-1521年)に本殿及び拝殿を再造立して社領20貫を寄進した。
天文年間(1532年-1555年)、大内氏家臣宍戸隆家が当社背後の茶臼山に築城し、当社に武運を祈願したという。
永禄元年(1558年)、杉原氏が神辺城主となると家臣菊池肥前守がここに在城し、武運を祈願して戦功があった。
永禄5年(1562年)3月、毛利元就の命により国分寺とともに当社を杉原盛重が修復した。
江戸時代になり、永宝元年(1673年)5月16日に大水害によって社殿が大破し、貞亨3年(1686年)、福山城主水野氏の命により大修復が行われた。当時の棟札が現存する。
大正10年(1921年)に本殿の修理が行われ、昭和35年(1960年)には拝殿が再建された。
境内には、艮神社・大仙神社・忠魂社などの境内社がある。「日露役凱旋記念」「明治三十九年五月」とある砲弾碑や、亀石なども安置されている。
【ご利益】
厄災除け、地域・家内安全、安産、交通安全
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下御領八幡神社(しもごりょうはちまんじんじゃ)は、広島県福山市神辺町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
御祭神は、誉田別命・息長足姫命、田心姫命・湍津姫命・市杵姫命の宗像三女神。例祭はもともと旧暦10月15日だったが、現在は10月第1日曜日。
奈良時代の天平年間(729年-749年)の創立と伝えられ、宇佐八幡宮を勧請し、国分寺の鎮守社と位置付けられた。
備前国分寺の守護神、いわゆる国分八幡宮の一つ。備前国の一国一社の八幡宮、国府八幡宮は府中市出口町の府中八幡神社とされる場合が多いが、不明な点も多い。
当社の場合、下記のように歴代の近郷領主から崇敬されている。
応仁の乱(1467年-1477年)後に社殿が大破し、山名忠勝が永正年間(1504-1521年)に本殿及び拝殿を再造立して社領20貫を寄進した。
天文年間(1532年-1555年)、大内氏家臣宍戸隆家が当社背後の茶臼山に築城し、当社に武運を祈願したという。
永禄元年(1558年)、杉原氏が神辺城主となると家臣菊池肥前守がここに在城し、武運を祈願して戦功があった。
永禄5年(1562年)3月、毛利元就の命により国分寺とともに当社を杉原盛重が修復した。
江戸時代になり、永宝元年(1673年)5月16日に大水害によって社殿が大破し、貞亨3年(1686年)、福山城主水野氏の命により大修復が行われた。当時の棟札が現存する。
大正10年(1921年)に本殿の修理が行われ、昭和35年(1960年)には拝殿が再建された。
境内には、艮神社・大仙神社・忠魂社などの境内社がある。「日露役凱旋記念」「明治三十九年五月」とある砲弾碑や、亀石なども安置されている。
【ご利益】
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