静岡浅間神社の神主家私邸、家康も休んだ樹齢1000年の大クス
[住所]静岡県静岡市葵区浅間町1-40
[電話]-
若宮八幡宮(わかみやはちまんぐう)は、静岡県静岡市葵区浅間町にある神社。正式には単に「八幡宮」。主祭神は誉田別命。静岡浅間神社の北東100メートルほどの所に鎮座する。御朱印の有無は不明。
社伝によれば、第10代崇神天皇7年、大和国磯城郡出身の志貴家が神部神社の神主を命じられ、この地に赴任した際、私邸内に稚日女命と大己貴命を勧請したのを創祀とする。
神部神社は現在、静岡浅間神社の中に含まれ、総称されている。その後実に明治21年(1888年)まで志貴家は神部神社の神主を世襲、現在も付近にその末裔(90代とも)が住んでいるという。
後に、誉田別命を併せて奉斎し、現社号で呼ばれるようになった。府中八幡と呼ばれることもあったようで、駿河国分寺の守護神、いわゆる国分八幡宮の一つという説がある。
駿河国の一国一社の八幡宮、いわゆる国府八幡宮は不詳。ちなみに、当社の南隣には「駿河国総社宮内神社」がある。当社地の志貴家の邸宅は近世、「惣社神主宅」と呼ばれていた。
境内には大きな楠の木がある。樹高22メートル、幹周10.2メートル、樹齢は伝承で1000年以上、あるいは2000年とも。
「若宮八幡大クス」として市の天然記念物に指定されているこのクスノキは、徳川家康が人質の際にこの木の下で遊んだ、あるいは後年、鷹狩などの途中でたびたび木陰で休んだなどの伝承がある。
天保6年(1835年)の『駿河新風土記』に駿河有数の名木として記載されているという。
【ご利益】
子孫・一族繁栄、厄災除け、開運招福
【関連記事】
・国府八幡宮とは? - 一国一社の八幡宮、各国の国府や国分寺の鎮守・守護神としての八幡
・静岡県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、静岡県に鎮座している神社の一覧
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若宮八幡宮(わかみやはちまんぐう)は、静岡県静岡市葵区浅間町にある神社。正式には単に「八幡宮」。主祭神は誉田別命。静岡浅間神社の北東100メートルほどの所に鎮座する。御朱印の有無は不明。
社伝によれば、第10代崇神天皇7年、大和国磯城郡出身の志貴家が神部神社の神主を命じられ、この地に赴任した際、私邸内に稚日女命と大己貴命を勧請したのを創祀とする。
神部神社は現在、静岡浅間神社の中に含まれ、総称されている。その後実に明治21年(1888年)まで志貴家は神部神社の神主を世襲、現在も付近にその末裔(90代とも)が住んでいるという。
後に、誉田別命を併せて奉斎し、現社号で呼ばれるようになった。府中八幡と呼ばれることもあったようで、駿河国分寺の守護神、いわゆる国分八幡宮の一つという説がある。
駿河国の一国一社の八幡宮、いわゆる国府八幡宮は不詳。ちなみに、当社の南隣には「駿河国総社宮内神社」がある。当社地の志貴家の邸宅は近世、「惣社神主宅」と呼ばれていた。
境内には大きな楠の木がある。樹高22メートル、幹周10.2メートル、樹齢は伝承で1000年以上、あるいは2000年とも。
「若宮八幡大クス」として市の天然記念物に指定されているこのクスノキは、徳川家康が人質の際にこの木の下で遊んだ、あるいは後年、鷹狩などの途中でたびたび木陰で休んだなどの伝承がある。
天保6年(1835年)の『駿河新風土記』に駿河有数の名木として記載されているという。
【ご利益】
子孫・一族繁栄、厄災除け、開運招福
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