越の国を平定した大幡主命を奉斎して創祀、後に国府八幡宮
一国一社八幡宮(富山県富山市八幡718)
[住所]富山県富山市八幡718
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一国一社八幡宮(いっこくいっしゃはちまんぐう、一國一社八幡宮)は、富山県富山市八幡にある神社。御祭神は、大幡主命・誉田別命息長帯比売命玉依日女命天照皇大神豊受大神御朱印の有無は不明。

第11代垂仁天皇84年、大若子命(後の大幡主命)が越の国の凶賊である阿彦平定を終え、当社を造営し帰落した。当地の住民が大幡主命を慕って、奉斎したのが創祀。

飛鳥時代、文武天皇(在位:697年-707年)が「忠孝」の二字を自書して忠孝の意義を教えられた時、甲良人麿がこれを奉じて越路に下って教諭したという。

越の民は、高梨野の丑寅内山に高々と石壇を築いて迎え、二字の札が磨滅するのを恐れて当社に祠を作って安置した。

奈良時代、聖武天皇が各国に、一国一社の八幡宮、いわゆる国府八幡宮を創立した時、当社に誉田別命・息長帯比賣命・玉依日女命を合わせ祀って八幡宮を奉斎した。

平安時代の弘仁2年(811年)8月15日、越中護国八幡宮の神霊を奉載し、護国八幡宮とも呼ばれるようになった。現在も鳥居の扁額に「越の國一國一社 護國八幡宮」とある。

ただし、埴生護国八幡宮の「護国」号は近世に前田利長によって付与されたもの、とされており、齟齬をきたす。

一国一社の国府八幡宮の他、その国の国分寺の守護神である国分八幡宮もある。越中国の場合、国府八幡宮の論社は、当社と埴生護国八幡宮、国分八幡宮が放生津八幡宮になるか。

戦国時代の天文年間 (1532年-1555年)、戦禍により社が殿焼失したが、天文12年(1543年)、有沢才蔵により社殿が修復された。

明治6年(1873年)に郷社に列し、明治34年(1900年)、いくつかの神明宮を合祀、大正2年(1914年)には境内社の神明宮も合祀した。

【ご利益】
地域・家内安全、地域振興、厄災除け
一国一社八幡宮(富山市)1
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