国分寺建立の詔から約100年後に創建された能登国分寺の守護神
[住所]石川県七尾市細口町レ28
[電話]0767-52-1594 - 総社
若宮八幡神社(わかみやはちまんじんじゃ)は、石川県七尾市細口町にある神社。由緒は不詳で、現在は同市古府町の総社の兼務神社となっている。御朱印の有無は不明。
奈良時代、各国に国分寺と国分尼寺を創建することになり、その守護神として、八幡社が勧請・創建された。いわゆる国分八幡宮である。
当社はその能登国国分寺の守護神、能登の国分八幡宮であるとの説がある。国分寺跡は国分町で、町を異にするが、当社は細口町でも東寄り、国分寺跡は国分町でも西寄りで、距離的にはそう離れてはいない。
ただし、能登国の場合、国分寺の創建はだいぶ遅れ、平安時代に入ってからも半世紀後、承和10年(843年)だとされている。
天平13年(741年)に聖武天皇が国分寺建立の詔を発布してから約100年経ている。当社もこの頃の創建か再建となることが考えられる。
能登国分寺は数百年の繁栄後、いつしか廃寺となる。当社もそれと運命をともにし、極めて衰微したか。しかし、寺院は廃寺になっても、神社は1000年を超えてなお何とかでも存続している、この違いに考えさせられるものがある。
現在、国分寺跡は、「能登国分寺跡 附建物群跡」として国の史跡に指定され、史跡公園としての整備が進み、公園内には南門と塀の一部が復元され、出土品などを展示する能登国分寺展示館がある。
能登国の場合、国府の守護神、一国一社の八幡宮、いわゆる国府八幡宮は、同市八幡町の八幡神社とされる。八幡町は細口町と国分町の南に隣接して位置する。
【ご利益】
不詳
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若宮八幡神社(わかみやはちまんじんじゃ)は、石川県七尾市細口町にある神社。由緒は不詳で、現在は同市古府町の総社の兼務神社となっている。御朱印の有無は不明。
奈良時代、各国に国分寺と国分尼寺を創建することになり、その守護神として、八幡社が勧請・創建された。いわゆる国分八幡宮である。
当社はその能登国国分寺の守護神、能登の国分八幡宮であるとの説がある。国分寺跡は国分町で、町を異にするが、当社は細口町でも東寄り、国分寺跡は国分町でも西寄りで、距離的にはそう離れてはいない。
ただし、能登国の場合、国分寺の創建はだいぶ遅れ、平安時代に入ってからも半世紀後、承和10年(843年)だとされている。
天平13年(741年)に聖武天皇が国分寺建立の詔を発布してから約100年経ている。当社もこの頃の創建か再建となることが考えられる。
能登国分寺は数百年の繁栄後、いつしか廃寺となる。当社もそれと運命をともにし、極めて衰微したか。しかし、寺院は廃寺になっても、神社は1000年を超えてなお何とかでも存続している、この違いに考えさせられるものがある。
現在、国分寺跡は、「能登国分寺跡 附建物群跡」として国の史跡に指定され、史跡公園としての整備が進み、公園内には南門と塀の一部が復元され、出土品などを展示する能登国分寺展示館がある。
能登国の場合、国府の守護神、一国一社の八幡宮、いわゆる国府八幡宮は、同市八幡町の八幡神社とされる。八幡町は細口町と国分町の南に隣接して位置する。
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