平安期創建の国府八幡宮、「厩橋」「前橋」の地名由来、1月にだるま供養祭
[住所]群馬県前橋市本町2-7-2
[電話]027-221-8632

前橋八幡宮(まえばしはちまんぐう)は、群馬県前橋市本町にある神社。正式名称は単に八幡宮。子育て八幡として信仰を集める。近代社格では県社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『前橋風土記』によると、平安時代の貞観年間(859年-877年)、在原業平の子孫である長野業重が、京都の石清水八幡宮から勧請した。

御祭神は、品陀和気命・比咩神・息長足媛命。一説に「国府八幡宮」とも言われているようで、創建は更に古いものとする考えがある。

しかし、一国一社の八幡宮、いわゆる国府八幡宮のすべてが国府全盛、あるいは奈良時代の国分寺建立の際に創建されたものでもないので、特段の奇異はない。

上野国の国府八幡宮の論社としては他に、高崎市八幡町の上野國一社八幡宮がある。上野国国府は前橋市元総社町、国分寺は東国分町・引間町と、当社の方が近い。

戦国時代の永禄10年(1567年)、兵火に遭ったが直後に再建。元亀年間(1570年-1573年)から天正年間(1573年-1593年)にかけて、北条氏などの武将が神田を寄進した。

北条氏による元亀2年(1571年)の土地寄進状・諸役免許状には、「当地厩橋八幡宮」と見え、「厩橋」という地名の初見だという。

江戸時代には将軍家より15石の朱印領が献じられたという。藩主である酒井氏、松平氏の崇敬が篤く、前橋全市の総鎮守として尊崇された。

江戸時代前期の慶安2年(1649年)、酒井忠清による土地安堵状には「上州群馬郡前橋」とあり、「前橋」という呼称がこの頃には使われていたことが分かる。

明治5年(1872年)に郷社に列格、翌年明治6年(1873年)に県社に昇格した。

社殿の右手に立派なイチョウの木と境内社の美保大國神社(大国主命八重事代主命)がある。『平成祭データ』によれば、八坂神社もある。

また『明治神社誌料』には摂社に諏訪神社があり、境内社に、琴平神社・三峯神社・安倍神社・菅原神社・四柱神社・稲荷神社・大國神社・厳島神社・疱瘡神社があるとされる。

社殿のある石垣の前に、「達磨御焚上発祥之地」と刻まれた石碑が立っている。1月9日の初市、 通称「だるま市」で古いだるまの供養祭が行われる。

【ご利益】
子育て、子宝・安産、厄災除け、諸願成就
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前橋八幡宮の御朱印