宝蔵院流槍術の里、4月に古風な流鏑馬神事、縁結びの伊賀開拓神夫婦・山の神
[住所]三重県伊賀市白樫3638
[電話]0595-20-1828

岡八幡宮(おかはちまんぐう)は、三重県伊賀市白樫にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

源頼朝は、文治5年(1189年)6月、奥州平泉の藤原泰衡追討の院宣を得て、鎌倉鶴岡八幡宮に参拝し、戦勝を祈願した。

この時頼朝は、戦勝し日本全土を平定した暁には、鶴岡八幡宮末社を全国六十余国に建立すると祈願し、第一番を伊賀国にとの神意を受けた。

翌年9月の奥州攻略後、伊賀白樫の地に方四町の神域を設けて鶴岡八幡宮の第一号末社の建立に着手、建長元年(1190年)には工事が完了した。

社名は、鶴岡八幡宮の末社を示す略称。末社建設は伊賀国を最初に全国に進める予定だったが、頼朝の没後その計画は中止され、当宮が最初で最後の末社となった。

その意味では、厳密に言えば国府・国分寺の守護神である一国一社の国府八幡宮とは言えないかもしれないが、独特な由緒からか、伊賀国一社の八幡宮とされる場合が多い。

もともと当地は、伊賀の開拓の神、伊賀津彦と伊香津姫ゆかりの地で、古くから祭祀が行われてきた。

第12代景行天皇の時代、伊賀に派遣された伊賀津彦と伊香津姫は当地の開拓に乗り出すと同時に、大山祇神を奉斎した。現在も境内には山の神として尺殿明神という小祠がある。

大山祇神と、伊賀津彦と伊香津姫の夫婦をあわせた尺殿明神は、男女の性愛をもとにした神として縁結びの御神徳で現在も信仰されている。

1月7日には「ふくらそ」の木で伊賀津彦と伊香津姫のこけしを作り、大注連縄とともに奉納する祭典がある。

当宮境内には、3代将軍徳川家光の時代、37歳の若さで亀山城主となった白樫出身の中川甚兵衛重規が奉納した等身大の木彫神馬がある。

この神馬は、白樫出身の槍術の名人・高田又兵衛が当宮境内で近隣の若者たちに槍術を教えていた際、甚兵衛も又兵衛について槍術を学び、出世はそのお陰と奉納したもの。

境内は、宝蔵院流槍術高田派祖・高田又兵衛が修業し、若者達に槍を教えた「又兵衛修業の森」として知られている。宝蔵院流槍術の奉納演武会が行われる。

4月第3日曜日または第4日曜日に流鏑馬が行われる。古風な本格的な神事で、現在も頼朝の遺志を伝えているかのよう。

【ご利益】
厄災除け、身体壮健、武運長久・勝運、縁結び
岡八幡宮 - 宝蔵院流槍術の里、4月に古風な流鏑馬神事、縁結びの伊賀開拓神夫婦・山の神
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岡八幡宮の御朱印