大村市の領主や大村藩主、祖の藤原鎌足・藤原純友を祀る旧県社
[住所]長崎県大村市玖島1-34
[電話]0957-53-4835

大村神社(おおむらじんじゃ)は、長崎県大村市の大村藩の居城であった玖島城の本丸跡に鎮座する神社。近代社格では県社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

大村直澄を初め、親澄・澄宗・澄遠・純興・純弘・純熈の大村氏歴代の領主、藩主7柱を主祭神に、同家の祖とされる藤原鎌足、藤原純友や、その他の領主、藩主36柱を配祀する。

文化2年(1805年)に時の大村藩主大村純昌が、祖先とする藤原純友及びその一族を「御霊宮大明神」と称して領内西大村池田山に創祀したのが起源。

文化11年(1814年)には第9代藩主大村純鎮を、天保9年(1838年)には純昌も合祀された。その後藩主から年間祭祀料を支弁されるなどの崇敬を受けた。

明治3年(1870年)にはさらに純鎮、純昌以外の歴代藩主9代を合祀して社名を「常磐神社」と改称した。

明治4年(1871年)に廃藩置県となると、旧藩主と領民との関係が希薄化することを危惧した大村城下の旧藩士が発起人となって、旧領民が一体となって祀る神社と位置付けられた。

明治7年(1874年)には村社に列したが、池田山には参拝が不便であるとされ、荒れ地と化していた玖島城本丸跡を新社地とすることにした。

明治16年(1883年)に社地と社名の変更を国に願い出て、同年11月に社殿造営に着工、翌明治17年(1884年)5月に遷座して、鎮座地名にちなむ現社名へ改称した。

明治18年(1885年)に最後の藩主であった大村純熈を合祀、同年2月19日に県社に昇格した。なお、新社殿竣工までは池田山から三城町の富松神社へ仮遷座していた。

当初は勤王の志が篤いとのことから純熈を含む現主祭神7柱の霊璽のみを本殿に祀り、他の御祭神は本殿左に別殿を設けて祀っていたが、大正4年(1915年)に全て本殿に合祀された。

戦後の昭和30年(1955年)には社殿地を大村家から寄進された。

元三城城址に鎮座していた稲荷神社が明治41年(1908年)に当社境内に遷座した玖島稲荷神社がある。

本殿前の2本のオオムラザクラ(大村桜)は、「大村神社のオオムラザクラ」として、国の天然記念物に指定され、境内にあるクシマザクラ(玖島桜)は県の天然記念物に指定されている。

【ご利益】
諸願成就、一族・子孫繁栄
大村神社(大村市) - 大村市の領主や大村藩主、祖の藤原鎌足・藤原純友を祀る旧県社
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大村神社(大村市)の御朱印