坂上田村麻呂が青麻山に奉斎、伊達家重臣片倉氏の総守護神
刈田嶺神社(宮崎県刈田郡蔵王町宮字馬場)
[住所]宮城県刈田郡蔵王町宮字馬場1
[電話]0224-32-2615

刈田嶺神社(かったみねじんじゃ)は、宮城県刈田郡蔵王町宮にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「苅田嶺神社(陸奥国・苅田郡)」に比定される式内社(名神大社)。近代社格では県社

当地は、蔵王連峰東方、阿武隈川水系白石川と松川が合流する地にあり、奥州街道(現 国道4号に相当)と出羽国へと向かう笹谷街道(現 山形自動車道、国道286号に相当)とが分岐する交通の要所である。

創建には諸説あり、第12代景行天皇の時代に日本武尊の東征ゆかりの地に日本武尊を祀った、あるいは聖徳太子の母である穴穂部間人皇女が当地で斃れたという伝承など。

一般的には平安時代の延暦10年(791年)、坂上田村麻呂の一軍が蝦夷征討を行った際、現在の蔵王町市街地を見下ろす標高799メートルの青麻山山頂に若宮白鳥神社の合祀を行ったことに始まる。

延暦20年(801年)に若宮白鳥神社で相殿となり、再び青麻山に遷座した。当初は白鳥大明神と呼ばれた。

御祭神は日本武尊。刈田郡や隣接する柴田郡では「白鳥信仰」があり、大高山神社などがその代表例である。現在も本殿後方には白鳥古碑群がある。

青麻山は、当時大刈田山薬師嶺と呼ばれており、これが社号の由来である。

白鳥大明神は、朝廷や歴代の領主によって保護された。奥州藤原氏、伊達氏からも保護を受け、永正11年(1514年)、伊達稙宗の時代に、白鳥大明神を青麻山山頂から現在地に移転させた。

現在の社殿は享保3年(1718年)に、白石城主片倉村休により建立されたもの。片倉氏は総守護神として当社を崇敬した。明治元年(1868年)、現社号に改め、現在に至っている。

明治時代に白石城主片倉氏の地方知行内の仙台藩士が北海道に開拓のために向かった際、登別市中央町に刈田神社として当社が分祀されている。

当社は進藤彦興『詩でたどる日本神社百選』に掲載されている。同町遠刈田温泉に同名の神社があり、刈田岳の山頂にその奥宮がある。

なお、白鳥信仰に関連して、当社の南には、日本武尊が当地に残した子供を乳母が投げ捨てた川とされる「児捨川」「児捨川橋」がある。現在は、児童虐待を連想させるいう理由により、橋の名前は「白鳥橋」へ改名されている。

【ご利益】
厄災除け、開運招福、家内安全、一族・子孫繁栄
刈田嶺神社(蔵王町宮) - 坂上田村麻呂が青麻山に奉斎、伊達家重臣片倉氏の総守護神
【関連記事】
名神大社とは? - 名神祭の対象となる神々、式内社の中でも特異、その細かな特徴は?
詩でたどる日本神社百選 - 進藤彦興『詩でたどる日本神社百選』に掲載された神社
宮城県の旧県社 | 府県社とは? - 旧県社(縣社)・旧府社、その都道府県の中で有力な神社
宮城県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、宮崎県に鎮座している神社の一覧
刈田嶺神社(蔵王町宮)の御朱印