津島直の祖神・雷大臣命と、その祖・天児屋命を祀る名神大社
[住所]長崎県対馬市美津島町加志512
[電話]-
太祝詞神社(ふとのりとじんじゃ)は、長崎県対馬市美津島町にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 西海道神 対馬国 下県郡「太祝詞神社」に比定される式内社(名神大社)。近代社格では村社。
かつては加志大明神・賀志宮とも称し、太詔戸神(太祝詞神)と雷大臣命を祀る。太詔戸神は天児屋命のこととされ、雷大臣命は津島直の祖神とされる。
雷大臣命は神功皇后の三韓征伐に従軍し、津島県主となって朝鮮からの入貢を司ったという。その後、下県郡阿連村に移り、祝官として祭祀の例を教へ、太占・亀卜の術を伝えたという。
当社は、雷大臣命の邸宅跡であり、境内には墓と伝わる壇、あるいは宝筐塔がある。津島が対馬となり、この津島は現在も愛知県津島市の津島神社などに伝わる。
創祀年代は不詳。平安時代の大同元年(806年)の『新抄格勅符抄』に「太祝詞神 二戸対馬島」とあり、対馬島で神封戸2戸が与えられたとある。
神階について、承和4年(837年)2月に従五位下、貞観12年(870年)3月に正五位下に叙されている。
明治初年に両部神道によって加志大明神などと称していたものを現社号に改称。明治7年(1874年)6月に村社に列した。例祭は9月9日。境内には、白嶽神社がある。
『延喜式』神名帳には大和国添上郡にも「太祝詞神社」が記載されている。現在の奈良県天理市の森神社である。当社は森神社の勧請元と考えられている。
また、『延喜式』神名帳 宮中京中 京中坐神 左京二條坐神「太詔戸命神(大社、月次相嘗新嘗)」があって、当社が森神社とともに本社としての記載される。また、佐世保市には祝詞神社がある。
【ご利益】
学業・受験合格、文武両道、交渉成功

【関連記事】
・名神大社とは? - 名神祭の対象となる神々、式内社の中でも特異、その細かな特徴は?
・長崎県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、長崎県に鎮座している神社の一覧
[電話]-
太祝詞神社(ふとのりとじんじゃ)は、長崎県対馬市美津島町にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 西海道神 対馬国 下県郡「太祝詞神社」に比定される式内社(名神大社)。近代社格では村社。
かつては加志大明神・賀志宮とも称し、太詔戸神(太祝詞神)と雷大臣命を祀る。太詔戸神は天児屋命のこととされ、雷大臣命は津島直の祖神とされる。
雷大臣命は神功皇后の三韓征伐に従軍し、津島県主となって朝鮮からの入貢を司ったという。その後、下県郡阿連村に移り、祝官として祭祀の例を教へ、太占・亀卜の術を伝えたという。
当社は、雷大臣命の邸宅跡であり、境内には墓と伝わる壇、あるいは宝筐塔がある。津島が対馬となり、この津島は現在も愛知県津島市の津島神社などに伝わる。
創祀年代は不詳。平安時代の大同元年(806年)の『新抄格勅符抄』に「太祝詞神 二戸対馬島」とあり、対馬島で神封戸2戸が与えられたとある。
神階について、承和4年(837年)2月に従五位下、貞観12年(870年)3月に正五位下に叙されている。
明治初年に両部神道によって加志大明神などと称していたものを現社号に改称。明治7年(1874年)6月に村社に列した。例祭は9月9日。境内には、白嶽神社がある。
『延喜式』神名帳には大和国添上郡にも「太祝詞神社」が記載されている。現在の奈良県天理市の森神社である。当社は森神社の勧請元と考えられている。
また、『延喜式』神名帳 宮中京中 京中坐神 左京二條坐神「太詔戸命神(大社、月次相嘗新嘗)」があって、当社が森神社とともに本社としての記載される。また、佐世保市には祝詞神社がある。
【ご利益】
学業・受験合格、文武両道、交渉成功

【関連記事】
・名神大社とは? - 名神祭の対象となる神々、式内社の中でも特異、その細かな特徴は?
・長崎県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、長崎県に鎮座している神社の一覧
コメント