「五社さん」と親しまれる仁井田明神、11月に大祭で流鏑馬など
[住所]高知県高岡郡四万十町仕出原100
[電話]0880-22-3652
高岡神社(たかおかじんじゃ)は、高知県高岡郡四万十町にある神社。四国八十八箇所三十七番札所岩本寺の元札所である。近代社格では県社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
御祭神は東大宮として大日本根子彦太迩尊、今大神宮として磯城細姫命、中ノ宮として大山祇命・吉備彦狭嶋命、今宮として伊予二名洲小千命、森ノ宮として伊予天狭貫尊。
大日本根子彦太迩尊、つまり第7代孝霊天皇に関しては、備後国や四国各地に伝承が残る。特に吉備彦狭嶋命からは、愛媛県伊予市の伊予神社との関連が考えられる。
また、伊予二名洲小千命、伊予天狭貫尊は孝霊天皇の孫と曾孫、吉備彦狭嶋命の子と孫という関係になり、この家系が大三島の大山祇神社の神職家の家系につながっていく、という。
当社に大山祇命が奉斎されているのも偶然ではないのだろう。
別名を仁井田五社といい、向かって右より一の宮の東大宮、二の宮の今大神宮、三の宮の中ノ宮、四の宮の今宮、五の宮の森ノ宮が単独の神社として県道322号線沿いに並ぶ。
高岡神社はこの五社の総称。正式名称は仁井田明神。地元では「五社さん」と呼ばれている。社務所は中ノ宮に構えられている。
伝承によれば、6世紀頃、伊予の豪族・河野氏の一派が一族の争いから当地に逃れ、この地の土豪とともに土地を開墾し安住の地と定めた。ここに祖神を祀り、仁井田大明神とし、この地の総鎮守とした。
平安時代初期の天長3年(826年)、四国を巡錫していた空海(弘法大師)が境内に福円満寺を創建した。空海は神社を5社に分社し、五社大明神とし、神仏習合の神宮寺としたと。
室町時代後期の享禄から天文にかけて(1528年-1555年)には、戦火に遭うなどで衰微した。
江戸時代に入り、土佐藩2代藩主山内忠義が神社を整備。社殿の改築、金幣の奉納を行い、武運長久の崇敬神とした。宝永4年(1707年)の宝永地震による津波で社殿が流された。
明治初年の神仏分離により本尊は岩本寺へ移された。毎年11月15日の秋季大祭では、流鏑馬などの神事が行われる。「高岡神社の大祭」として、町指定無形民俗文化財。
大祭では、地元住民による地場産品の販売や屋台を中心とした「五社ふるさとまつり」も同時開催され、神社一帯はたくさんの人で賑わう。
戦国時代、仁井田五人衆と呼ばれる地侍の一人で豪勇の中西権七が所持した大太刀が伝えられている。長さ1.6メートル、重さ30キロ。南海トラフ地震の津波に備えるため、2014年、南国市の高知県立歴史民俗資料館に寄託された。
また、弥生時代のものと推定される銅鐸や、代々社宝として伝えられ、四国最古と言われている古瀬戸瓶子、土州住人北原宣保作」の銘がある、仁井田五人衆が奉納したと伝わる5つの兜などがある。
【ご利益】
地域・家内安全、地域振興、武運長久・勝運
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高岡神社(たかおかじんじゃ)は、高知県高岡郡四万十町にある神社。四国八十八箇所三十七番札所岩本寺の元札所である。近代社格では県社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
御祭神は東大宮として大日本根子彦太迩尊、今大神宮として磯城細姫命、中ノ宮として大山祇命・吉備彦狭嶋命、今宮として伊予二名洲小千命、森ノ宮として伊予天狭貫尊。
大日本根子彦太迩尊、つまり第7代孝霊天皇に関しては、備後国や四国各地に伝承が残る。特に吉備彦狭嶋命からは、愛媛県伊予市の伊予神社との関連が考えられる。
また、伊予二名洲小千命、伊予天狭貫尊は孝霊天皇の孫と曾孫、吉備彦狭嶋命の子と孫という関係になり、この家系が大三島の大山祇神社の神職家の家系につながっていく、という。
当社に大山祇命が奉斎されているのも偶然ではないのだろう。
別名を仁井田五社といい、向かって右より一の宮の東大宮、二の宮の今大神宮、三の宮の中ノ宮、四の宮の今宮、五の宮の森ノ宮が単独の神社として県道322号線沿いに並ぶ。
高岡神社はこの五社の総称。正式名称は仁井田明神。地元では「五社さん」と呼ばれている。社務所は中ノ宮に構えられている。
伝承によれば、6世紀頃、伊予の豪族・河野氏の一派が一族の争いから当地に逃れ、この地の土豪とともに土地を開墾し安住の地と定めた。ここに祖神を祀り、仁井田大明神とし、この地の総鎮守とした。
平安時代初期の天長3年(826年)、四国を巡錫していた空海(弘法大師)が境内に福円満寺を創建した。空海は神社を5社に分社し、五社大明神とし、神仏習合の神宮寺としたと。
室町時代後期の享禄から天文にかけて(1528年-1555年)には、戦火に遭うなどで衰微した。
江戸時代に入り、土佐藩2代藩主山内忠義が神社を整備。社殿の改築、金幣の奉納を行い、武運長久の崇敬神とした。宝永4年(1707年)の宝永地震による津波で社殿が流された。
明治初年の神仏分離により本尊は岩本寺へ移された。毎年11月15日の秋季大祭では、流鏑馬などの神事が行われる。「高岡神社の大祭」として、町指定無形民俗文化財。
大祭では、地元住民による地場産品の販売や屋台を中心とした「五社ふるさとまつり」も同時開催され、神社一帯はたくさんの人で賑わう。
戦国時代、仁井田五人衆と呼ばれる地侍の一人で豪勇の中西権七が所持した大太刀が伝えられている。長さ1.6メートル、重さ30キロ。南海トラフ地震の津波に備えるため、2014年、南国市の高知県立歴史民俗資料館に寄託された。
また、弥生時代のものと推定される銅鐸や、代々社宝として伝えられ、四国最古と言われている古瀬戸瓶子、土州住人北原宣保作」の銘がある、仁井田五人衆が奉納したと伝わる5つの兜などがある。
【ご利益】
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