愛媛開拓の祖・孝霊天皇の皇子を祀る古社、源義経や河野氏の崇敬
伊予神社(愛媛県伊予郡松前町神崎193)
[住所]愛媛県伊予郡松前町神崎193
[電話]-

伊予神社(いよじんじゃ)は、愛媛県伊予郡松前町神崎にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 伊予国 伊予郡「伊豫神社」に比定される式内社(名神大社)の論社。ただし、『延喜式』臨時祭「名神祭」には掲載されていない。近代社格では県社

創建は不詳。式内社「伊予神社」の論社は他に、伊予市上野にある同名の神社や、松山市の伊豫豆比古命神社がある。

神階は、奈良時代の天平神護2年(766年)に従五位下、神戸二烟、平安時代の貞観4年(862年)に従五位、貞観8年(866年)に正四位下、貞観12年(870年)に正四位上。

当社の主祭神は彦狭島命。第7代孝霊天皇の皇子で、『古事記』には播磨の牛鹿の臣の祖とある。反抗勢力に対するため当地に派遣され、神崎庄に鎮座したという。

彦狭島命の子孫が、大三島の大山祇神社の神職家の家系につながっていく、という。関連した神社として、高知県高岡郡四万十町に高岡神社がある。

配神は、愛比売命・伊予津彦命・伊予津姫命・日本根子彦太瓊命・細姫命・速後上命。前三柱は、伊豫豆比古命神社と同じ御祭神。

日本根子彦太瓊命は孝霊天皇のことで、細姫命はその皇后。ただし、彦狭島命の母ではない。速後上命は、『先代旧事本紀』によれば、神八井耳命の子孫で、第13代成務天皇の時代に伊予国造に任命された。

なお、当社は、式内小社「伊予豆比子命神社(伊豫豆比古命神社)」の論社ともされる。上述の伊豫豆比古命神社も同社の論社。

社伝によれば、平安時代末期の文治年間(1185年-1190年)に伊予守源義経から崇敬され、その寄進により社殿が造営されたという。

しかし、鎌倉時代の文永年間(1264年-1275年)にその社殿が消失。中世には彦狭島命の子孫を称する河野氏から崇敬を受け、天正年間(1573年-1593年)に河野通信の命で社殿が造営された。

江戸時代になり、寛文年間(1661年-1673年)ごろより親王宮大明神という名称になったという。

境内の西北に「入らずの森」がある。鎌倉時代の作とみられる3基の五輪塔が置かれている。また明治30年(1897年)に宮内省が発掘調査したところ、経塚から宋代とされる磁器壷2個、青銅経筒6個などが出土した。

これを受けて社格を国幣社へ昇格することが認可されたが、氏子数の少なさから結局は県社にとどまったという経緯がある。なお、五輪塔や経塚出土品は町指定有形文化財。

境内社として、山之神社(大山咋命和霊神)、猿田彦神社(猿田彦命)、厳島神社(市杵島姫命他5柱)、竈神社(奥津比古命他1柱)がある。

境外社として、平安時代の弘仁15年(824年)に勧請された村社稲荷神社、通称・稲荷五社大明神(保食神倉稲魂神他1柱)がある。戦後に当社に併合された。

また、他の境外社に、石鉄神社(金山比古命他2柱)、徳直神社(大己貴命)、金刀比羅神社、道祖神社(塞神)がある。

拝殿南側には、常に池のように水のたまるところがあり、霊泉と言われたが、今は枯れている。また、「入らずの森」の石のくぼみにたまっている水を「いぼ」につけると、いぼが消えるといわれている。

【ご利益】
地域・家内安全、病気平癒
伊予神社(松前町) - 愛媛開拓の祖・孝霊天皇の皇子を祀る古社、源義経や河野氏の崇敬
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伊予神社(松前町)の御朱印