『風土記』の里、平安時代に八幡勧請、4月に中臣印達祭、2月に厄神祭
[住所]兵庫県姫路市林田町八幡749
[電話]079-261-2556

林田八幡神社(はやしだはちまんじんじゃ)は、兵庫県姫路市林田町八幡にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 播磨国 揖保郡「中臣印達神社」に比定される式内社(名神大社)の論社。

『播磨国風土記』揖保郡の条に林田の里が見える。もとの名は談奈志(いはなし)。伊和大神が国を占った時、御志をここに突き立て、それから楡(いはなし)の樹が生えたことによる。

社伝によれば、平安時代の寛平8年(893年)、口佐見・奥佐見・林谷・林構・松山・山田・大堤の36名が山城国石清水八幡宮から当地鈴が峯の山麓に御分霊を勧請したという。

御祭神は応神天皇(品陀和気命)・仲哀天皇(足仲彦命)・神功皇后(息長足姫命)。五十猛命を配祀する。少なくとも江戸期には、そして現在も、単に八幡神社とも。

36名の子孫は小烏帽子と呼ばれ、年2回遙拝式を行うなど当社の神事に深く関わってきた。源頼朝・赤松円心・新田義貞・羽柴秀吉・池田輝政ら名だたる武将の崇敬も伝える。

南北朝時代の延元元年(1336年)、新田義貞が戦勝を祈願して「神祇」の弘法大師の書と伝わる二大文字額を納めた。

江戸時代になると、池田輝政が木製の高麗狗二躯を奉納した。 その後、林田藩主建部氏が当社を産土神・祈願所として崇敬し、建部政宇寄進の宇治川先陣図絵馬や政宇・政賢・政醇寄進の石燈籠など藩主ゆかりの遺品も多い。

例祭は10月第2日曜日で例大祭、秋祭り。または当家祭とも。1週間前に当番自治会の中の選ばれた家に本殿より神幸し、1日もてなし、里の様子を眺め、御心を安らかにしていただくという神事がある。

4月15日が中臣印達祭。当年の作付けの稲の品種を占う祭りとして早稲、中稲、晩稲の稲穂を供え、豊作を占い氏子の人たちが撤饌として稲穂を持ち帰り播種する。

この祭りが、式内論社の根拠となっているようだ。印達神は通常、五十猛命に比定される。当社配神がもともとは主神だったのか、あるいは後世、式内社「中臣印達神社」を合祀し、その祭礼が受け継がれたものか。

式内社「中臣印達神社」の論社は他に、たつの市揖保町中臣の中臣印達神社や姫路市網干区宮内の魚吹八幡神社がある。

2月19日は厄神祭。江戸時代より続く厄除けの祭りで、早朝より厄除け祈祷を行う。地元の厄年の男性総出で樽酒、おでんを振る舞い、福引、大もちまきなどが行われる。

境内社に、高良神社(主神:武内宿禰、配神:吉備津彦神)、松尾神社(主神:大山咋命木花開姫命、配神:市杵嶋命蛭兒命)がある。

【ご利益】
厄災除け、五穀豊穣、地域振興
林田八幡神社 - 『風土記』の里、平安時代に八幡勧請、4月に中臣印達祭、2月に厄神祭
【関連記事】
名神大社とは? - 名神祭の対象となる神々、式内社の中でも特異、その細かな特徴は?
兵庫県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、兵庫県に鎮座している神社の一覧