鳴尾最古、イノシシにゆかり、珍しい祭典がある「おかしの宮」
[住所]兵庫県西宮市小松南町2-2-8
[電話]0798−47−6613
岡太神社(おかたじんじゃ)は、兵庫県西宮市小松南町にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 摂津国 武庫郡「岡太神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社。
鳴尾地域では最古の神社である。主祭神は天御中主大神。相殿に、高皇産霊神・素盞嗚神 ・稲田姫神・大己貴神・蘇民将来を祀る。
創建は不詳。社伝に、平安時代、宇多天皇の寛平5年(893年)、武庫郡広田の人である岡司新五氏がこの地を開発して浜村と称し、延喜元年(901年)に広田明神を祀り、五穀豊穣を得たという。
異称は「おかしの宮」。「岡司」氏が開いたことによる、とも、武庫行宮にあたる「押照宮」から転じたもの、とも、女装して供物を奉納する祭りのあり様から、とも。
なお、江戸時代前期の万治元年(1658年)、天御中主大神の坐す神輿が流れ着き、造営されたのが神戸市兵庫区の和田神社。
天御中主大神の坐す神輿が流れた元が、式内社「岡太神社」だとされている。
並河誠所が享保19年(1734年)、『五畿内志』の『摂津志』に「岡太神社小松村にあり」と記し、社号標石を設置して式内社と比定した。
廣田神社境外摂社で神戸女学院大学構内に鎮座する岡田神社がもう一つの論社となっている。なお、両社とも天御中主大神を祀っているなど、両社に何かしらの関連があるという見方もある。
明治5年(1872年)、本社の北の元上の宮5柱を合祀し、明治6年(1873年)8月に村社に列した。明治12年(1879年)4月に県社に昇格した。
平成7年(1995年)1月17日、阪神・淡路大震災で社殿が倒壊したが、平成12年(2000年)には再建された。
例祭は10月11日。南北の講である「頭屋」が男女のヒトガタである御幣を作り、神饌とともに奉納する「一時上臈」が行われる。
かつては頭屋から神社まで奉納行列が行われていたが、新住民の流入でコミュニティが希薄化し、さらには阪神・淡路大震災を経て、現在は途絶している。
江戸時代には、その年に小松へ嫁いだ女性の衣装を男が着て供物を奉納する形で行われていたというが、これに付随して岩見重太郎が狒々を退治したとする伝説が残っている。
他に、陰暦正月9日に行われていた静止打がある。この日は西宮神社の蛭児神が静止(しし)を打つ日であり、それを避けるために等覚寺へ逃れた猪(しし)を迎えに行く祭礼。後に途絶しているが、当社境内には、現在もイノシシの像が鎮座している。
境内には、北向きに鎮座する摂社の白山神社があり、「歯そう」さんと親しまれ、歯の神として信仰されている。他に、恵美須社(恵美須大神)がある。
また、小松内府平重盛卿供養塔と伝えられる九重供養塔、平重盛之城址、尼崎藩領界碑などがある。
【ご利益】
五穀豊穣・商売繁盛、病気平癒、歯痛封じ

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[電話]0798−47−6613
岡太神社(おかたじんじゃ)は、兵庫県西宮市小松南町にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 摂津国 武庫郡「岡太神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社。
鳴尾地域では最古の神社である。主祭神は天御中主大神。相殿に、高皇産霊神・素盞嗚神 ・稲田姫神・大己貴神・蘇民将来を祀る。
創建は不詳。社伝に、平安時代、宇多天皇の寛平5年(893年)、武庫郡広田の人である岡司新五氏がこの地を開発して浜村と称し、延喜元年(901年)に広田明神を祀り、五穀豊穣を得たという。
異称は「おかしの宮」。「岡司」氏が開いたことによる、とも、武庫行宮にあたる「押照宮」から転じたもの、とも、女装して供物を奉納する祭りのあり様から、とも。
なお、江戸時代前期の万治元年(1658年)、天御中主大神の坐す神輿が流れ着き、造営されたのが神戸市兵庫区の和田神社。
天御中主大神の坐す神輿が流れた元が、式内社「岡太神社」だとされている。
並河誠所が享保19年(1734年)、『五畿内志』の『摂津志』に「岡太神社小松村にあり」と記し、社号標石を設置して式内社と比定した。
廣田神社境外摂社で神戸女学院大学構内に鎮座する岡田神社がもう一つの論社となっている。なお、両社とも天御中主大神を祀っているなど、両社に何かしらの関連があるという見方もある。
明治5年(1872年)、本社の北の元上の宮5柱を合祀し、明治6年(1873年)8月に村社に列した。明治12年(1879年)4月に県社に昇格した。
平成7年(1995年)1月17日、阪神・淡路大震災で社殿が倒壊したが、平成12年(2000年)には再建された。
例祭は10月11日。南北の講である「頭屋」が男女のヒトガタである御幣を作り、神饌とともに奉納する「一時上臈」が行われる。
かつては頭屋から神社まで奉納行列が行われていたが、新住民の流入でコミュニティが希薄化し、さらには阪神・淡路大震災を経て、現在は途絶している。
江戸時代には、その年に小松へ嫁いだ女性の衣装を男が着て供物を奉納する形で行われていたというが、これに付随して岩見重太郎が狒々を退治したとする伝説が残っている。
他に、陰暦正月9日に行われていた静止打がある。この日は西宮神社の蛭児神が静止(しし)を打つ日であり、それを避けるために等覚寺へ逃れた猪(しし)を迎えに行く祭礼。後に途絶しているが、当社境内には、現在もイノシシの像が鎮座している。
境内には、北向きに鎮座する摂社の白山神社があり、「歯そう」さんと親しまれ、歯の神として信仰されている。他に、恵美須社(恵美須大神)がある。
また、小松内府平重盛卿供養塔と伝えられる九重供養塔、平重盛之城址、尼崎藩領界碑などがある。
【ご利益】
五穀豊穣・商売繁盛、病気平癒、歯痛封じ

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