式内二社、天智帝にちなむ「むべ」の実、鎌倉期の「村掟」が現存
大嶋神社奥津嶋神社(滋賀県近江八幡市北津田町529)
[住所]滋賀県近江八幡市北津田町529
[電話]0748-34-8515

大嶋神社奥津嶋神社(おおしまじんじゃおきつしまじんじゃ)は、滋賀県近江八幡市北津田町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』の近江国蒲生郡にある小社「大島神社」と名神大社「奥津島神社」に比定される式内社の論社。近代社格では県社

もとは別々の神社で、大嶋神社の御祭神が大国主神、奥津嶋神社の御祭神が奥津島比売命。大嶋・奥津嶋神社、大嶋奥津嶋神社、大島奥津島神社などとも表記される。

社伝によると、第13代成務天皇の治世に武内宿禰により勧請された。もとは別の地に鎮座していたが、南北朝時代の延文6年(1361年)以前には合祀された。一説には鎌倉時代には同座していたとも。

天智天皇7年(667年)、天皇が蒲生野に遊猟の際、奥津嶋神社に親拝し奉幣。その際天皇が「むべなるかな」と話した逸話が、現在も宮中に献上される「むべ」の実につながっている。

大同元年(806年)には神封一戸、貞観元年(859年)正月27日に従五位上に叙された。貞観7年(865年)4月2日、奥津嶋神社の神宮寺が阿彌陀寺に定まった。

大嶋神社は式内小社だが、奥津嶋神社は名神大社の論社である。式内社「奥津島神社」の論社は他に、沖島町に同名の神社がある。

大正4年(1915年)11月に県社に列格した。例祭は4月18日前後の近い日曜日で、その前日には松明祭が行われる。

鎌倉時代の弘長2年(1262年)に記された、他人の悪口や告げ口を固く禁じ、村人の団結を図った「村掟」である「奥嶋百姓等庄隠規文」を含む、大島奥津島神社文書(222通)1巻、32冊、3枚が国の重要文化財に指定されている。

他に、平安時代の作とされる木造大国主尊坐像、平安時代から鎌倉時代の作とされる菊花螺鈿鞍・黒漆鞍・黒漆鐙がある。

境内社として、日觸神社・日吉神社・四宮神社・喜佐伊神社・行司神社・白山神社・綾神社がある。境外社として、池鯉鮒神社・若神子神社・雨神社・若宮神社・百々神社がある。

【ご利益】
地域・家内安全、病気平癒、健康長寿
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