二つの式内社が室町期に合祀、玉姫伝説が残る、歴代武将の崇敬社
石作神社・玉作神社(滋賀県長浜市木之本町千田793)
[住所]滋賀県長浜市木之本町千田793
[電話]-

石作神社・玉作神社(いしつくりじんじゃ・たまつくりじんじゃ)は、滋賀県長浜市木之本町にある神社。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』の近江国伊香郡にある「石作神社」「玉作神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社

もともとは別の神社で、石作神社の御祭神が天火明命、玉作神社の御祭神が玉祖命。現在は、石作・玉作神社、石作玉作神社などとも表記される。創祀は不詳。

石作神社は、平安時代の仁寿元年(851年)正月、正六位上に叙された。南北朝時代の観応2年(1351年)8月に社殿焼亡し、室町時代の文明3年(1471年)にも兵火により焼亡している。

この後、玉作神社と合祀したとされる。その際、氏神の八幡を相殿に祀ったという。文明4年(1472年)には石作玉作八幡大明神の社票が再建された。

千田の集落の南の小字「石作」が石作神社の旧地とされる。「石作」という塚があり、禁足地となっている。

関連して、玉姫物語が伝わる。石作りの荘と呼ばれていた千田に、そうざえもんというものがおり、その娘に、大変な美貌を持った玉姫がいた。

これを聞きつけた伊吹山の三郎がこの村に来て、村人に乱暴狼藉しながら、無心に玉を磨いている玉姫に一目惚れし、求婚する。

そうざえもんは恐る恐る、しかしきっぱりとこれを断った。怒った三郎は、伊吹山の岩石を石作りの荘にめがけて投げつけたという。これが「石作」の塚の由来なのかもしれない。

戦国時代の天文21年(1552年)、浅井久政が禁制状を出している。永禄4年(1561年)には浅井長政が別当である東光寺への禁制状を出している。

元亀3年(1572年)には社殿が造営され、天正11年(1563年)には羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が禁制状を出している。江戸時代になり、延宝5年(1677年)に社殿の造営が行われた。

明治9年(1876年)に村社に列し、明治18年(1885年)に郷社に、大正11年(1922年)には県社に列格した。

例祭は4月5日。8月14日には野神踊りがある。太鼓踊りで、野神の石碑の前で、精霊迎えの際は墓地のある涌出山で、ー踊りする。境内に戻り、大太鼓を中心に、シャグマを被り、色とりどりの衣裳の背にダラリの帯・手甲脚絆の青年が円を描いて踊る。

【ご利益】
地域・家内安全、地域・産業振興
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