大和から尾張に移住した伊冨利部氏の氏神、八幡を合祀、黒田城の守護神
[住所]愛知県一宮市木曽川町門間字北屋敷3714
[電話]0586-87-0730
伊富利部神社(いふりべじんじゃ/いほりべじんじゃ)は、愛知県一宮市木曽川町にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「伊冨利部神社(尾張国・葉栗郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社。
伊冨利部氏(伊福部<いほきべ>氏)が、大和国葛城山より尾張国のこの地域に移り住み、祖先を祀ったという。御祭神は若都保命。天火明命の子孫。金属製錬に関わる神だという。
第39代弘文天皇元年(672年)の壬申の乱では、尾張国の伊冨利部氏は大海人皇子に協力している。当社はそれ以前の創祀と考えられる。
境内出土と伝えられる鉄剣は、砂鉄で鍛えた奈良時代のもので、町の文化財に指定されている。
延暦12年(793年)の平安京造営に際しては大内裏12門のうち、殷富門美濃尾張の伊冨利部氏造と『続日本記』などにみられる。伊冨利部天神として、当社も栄えたという。
平安時代後期以降、八幡信仰の影響により誉田別命を合祀、正八幡宮と改称している。甲府、あるいは国分寺の守護神としての、国府八幡宮とも。
かつては周囲1里の大規模な神社であったというが、室町時代の康正元年(1455年)に社殿が焼失、以降神域は縮小された。
戦国時代の弘治2年(1556年)、現在地より北西に一町ほどの地から現在地に遷宮、天正10年(1582年)に織田信雄の家臣で、黒田城城主の沢井雄重が再建し、黒田城の守護神とした。
江戸時代には八幡社と称していたが、明治7年(1874年)、現社号に改称して郷社に列し、明治43年に神饌幣帛料指定社となり、昭和4年(1929年)に県社に昇格した。例祭は10月8日。
境内社に、神明社・稲荷社・浅間社・天神社・春日社・厳島社・貴船社・若宮社・龍神社がある。
なお、式内社「伊冨利部神社」に関して、一宮市大毛の天神社に比定する説がある。
【ご利益】
地域・家内安全、子孫繁栄、地域振興
【関連記事】
・国府八幡宮とは? - 一国一社の八幡宮、各国の国府や国分寺の鎮守・守護神としての八幡
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伊富利部神社(いふりべじんじゃ/いほりべじんじゃ)は、愛知県一宮市木曽川町にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「伊冨利部神社(尾張国・葉栗郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社。
伊冨利部氏(伊福部<いほきべ>氏)が、大和国葛城山より尾張国のこの地域に移り住み、祖先を祀ったという。御祭神は若都保命。天火明命の子孫。金属製錬に関わる神だという。
第39代弘文天皇元年(672年)の壬申の乱では、尾張国の伊冨利部氏は大海人皇子に協力している。当社はそれ以前の創祀と考えられる。
境内出土と伝えられる鉄剣は、砂鉄で鍛えた奈良時代のもので、町の文化財に指定されている。
延暦12年(793年)の平安京造営に際しては大内裏12門のうち、殷富門美濃尾張の伊冨利部氏造と『続日本記』などにみられる。伊冨利部天神として、当社も栄えたという。
平安時代後期以降、八幡信仰の影響により誉田別命を合祀、正八幡宮と改称している。甲府、あるいは国分寺の守護神としての、国府八幡宮とも。
かつては周囲1里の大規模な神社であったというが、室町時代の康正元年(1455年)に社殿が焼失、以降神域は縮小された。
戦国時代の弘治2年(1556年)、現在地より北西に一町ほどの地から現在地に遷宮、天正10年(1582年)に織田信雄の家臣で、黒田城城主の沢井雄重が再建し、黒田城の守護神とした。
江戸時代には八幡社と称していたが、明治7年(1874年)、現社号に改称して郷社に列し、明治43年に神饌幣帛料指定社となり、昭和4年(1929年)に県社に昇格した。例祭は10月8日。
境内社に、神明社・稲荷社・浅間社・天神社・春日社・厳島社・貴船社・若宮社・龍神社がある。
なお、式内社「伊冨利部神社」に関して、一宮市大毛の天神社に比定する説がある。
【ご利益】
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