清水八幡神社の古社地に安土桃山期ごろに神祠を建立、大禍津日神を奉斎
[住所]石川県河北郡津幡町津幡チ31
[電話]076-289-4173 - 清水八幡神社
太白山神社(おおしろやまじんじゃ)は、石川県河北郡津幡町津幡にある神社。誤記と思われるが、大白山神社と表記される場合も。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「笠野神社(加賀国・加賀郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
現在の清水八幡神社が安土桃山時代の慶長元年(1596年)まで太白山に鎮座していた跡地を聖地として神祠を建立し、清水八幡神社の末社太白山社として創祀したに始まる。
御祭神は大禍津日神。清水八幡神社の古社地で、清水八幡神社との関係がもとより深いが、御祭神の関連は特段見当たらない。
清水八幡神社がこの地に遷座したのは平安時代末期の寿永2年(1183年)。創立の年代から考えれば、式内社たりえない。
当社の論社としての立ち位置は、式内論社の清水八幡神社の古社地としての参考としてか、あるいはこの創祀伝承とは別に、古くから祭祀が行われていたのだろうか。
現在は清水八幡神社が兼務している。ただし、当社宮司は尾山神社宮司である加藤治樹。清水八幡神社の宮司家も加藤家であり、何か関係があるか。
式内社「笠野神社」の論社は、当社と清水八幡神社の他、同町内の笠池ヶ原と刈安に二つの式内社名と同じ神社がある。このうち刈安笠野神社は当社と同じく、清水八幡神社の兼務社。
明治2年(1869年)、風災により神祠が損壊し、明治24年(1891年)に社殿を新築、その竣工まで本社である清水八幡神社に遷座していた。
秋季祭礼の清水八幡神社御神輿渡御の神事はこの由縁に基づくもの。
昭和3年(1928年)10月8日に村社に列格し、神饌幣帛料供進神社の指定を受ける。昭和8年(1933年)6月30日に本殿が新築され、慶賀祭が斎行された。
【ご利益】
厄災除け、リフレッシュ

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・石川県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、石川県に鎮座している神社の一覧
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太白山神社(おおしろやまじんじゃ)は、石川県河北郡津幡町津幡にある神社。誤記と思われるが、大白山神社と表記される場合も。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「笠野神社(加賀国・加賀郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
現在の清水八幡神社が安土桃山時代の慶長元年(1596年)まで太白山に鎮座していた跡地を聖地として神祠を建立し、清水八幡神社の末社太白山社として創祀したに始まる。
御祭神は大禍津日神。清水八幡神社の古社地で、清水八幡神社との関係がもとより深いが、御祭神の関連は特段見当たらない。
清水八幡神社がこの地に遷座したのは平安時代末期の寿永2年(1183年)。創立の年代から考えれば、式内社たりえない。
当社の論社としての立ち位置は、式内論社の清水八幡神社の古社地としての参考としてか、あるいはこの創祀伝承とは別に、古くから祭祀が行われていたのだろうか。
現在は清水八幡神社が兼務している。ただし、当社宮司は尾山神社宮司である加藤治樹。清水八幡神社の宮司家も加藤家であり、何か関係があるか。
式内社「笠野神社」の論社は、当社と清水八幡神社の他、同町内の笠池ヶ原と刈安に二つの式内社名と同じ神社がある。このうち刈安笠野神社は当社と同じく、清水八幡神社の兼務社。
明治2年(1869年)、風災により神祠が損壊し、明治24年(1891年)に社殿を新築、その竣工まで本社である清水八幡神社に遷座していた。
秋季祭礼の清水八幡神社御神輿渡御の神事はこの由縁に基づくもの。
昭和3年(1928年)10月8日に村社に列格し、神饌幣帛料供進神社の指定を受ける。昭和8年(1933年)6月30日に本殿が新築され、慶賀祭が斎行された。
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