鎌倉期創建の「富山の天神様」、富山藩主前田家に崇敬され、3藩主を合祀
於保多神社(富山県富山市於保多町1-32)
[住所]富山県富山市於保多町1-32
[電話]076-431-3030

於保多神社(おおたじんじゃ)は、富山県富山市於保多町にある神社。近代社格では県社。「富山の天神様」として崇敬される。参拝すれば、御朱印を頂ける。

もとは浄禅寺(現 富山市梅沢町)の境内社だった。鎌倉時代の弘長3年(1263年)、菅原道真公の尊像を奉り、錦重山浄禅寺としたのに始まる。

慶長年間(1596年-1615年)、前田利長が寺町に移転。さらに万治4年(1661年)、川辺の天神町に移転。寛文5年(1665年)、浄禅寺境内に新たに天満宮を作り、北野天神を勧請した。

富山藩主前田家は菅原道真の末裔を称しており、浄禅寺天満宮は前田家の祈願所とされた。宝永5年(1708年)に現在地に遷座した。

文化年間(1804年-1817年)、9代藩主前田利幹が富山藩初代藩主前田利次を祀り、国玉社と称した。明治になり、社号に問題ありとされたため、於保多社に改称した。

明治6年(1873年)に於保多社を合祀、郷社に列する。明治9年(1876年)、県社兼郷社となり、明治22年(1887年)には通称「柳町天満宮」から現社号に改称した。

明治44年(1911年)、2代藩主前田正甫・10代藩主前田利保を合祀した。

宝物には菅原道真公筆三社託宣書、菅公渡唐絵像、及び一条兼良筆の桃花老人筆讃などがある。絵馬堂の中央の神牛の像を撫でて合格を祈願すると願い事が叶うとされる。

境内には、正甫が鋳造させた鐘で作った正甫公徳碑がある。もとは富山城で時鐘として使われていたもので、明治時代に他所に移されたが、明治32年(1899年)の大火で半分焼け落ちたので、当社に奉納され、正甫公の記念碑とされた。

【ご利益】
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於保多神社の御朱印