島原の乱の後に奉斎された東照宮、明治期に島原藩主松平氏を合祀、花見の名所
霊丘神社(長崎県島原市弁天町2-7341)
[住所]長崎県島原市弁天町2-7341
[電話]0957-62-3446

霊丘神社(れいきゅうじんじゃ)は、長崎県島原市弁天町にある神社。霊丘公園の一部として鎮座する。近代社格では県社全国東照宮連合会に加盟している。御朱印の有無は不明。御朱印は頂けない、とも。

島原の乱(1637年-1638年)の後、当地を治めた高力氏により東照宮が勧請されたことに始まる。源家康(徳川家康、東照大権現)を奉斎する。

高力氏は、島原の乱で荒廃した社寺を復興し、他領から百姓を招き入れて農村の再建にも努力している。この東照宮の勧請も民心の安定を願ってのこととされる。

明暦元年(1655年)、高力隆長が圧政と矯奢を咎められ、寛文8年(1668年)に領地を没収された。その後を受けて松平忠房が入部し、以後当社は歴代藩主に崇敬された。

古くは権現山と称し、海岸伝いにしか行けなかったが、寛政4年(1792年)の眉山の崩壊によって埋め立てられ、現在の地形となった。

明治16年(1883年)には高力氏の後を受けた島原藩主松平氏(深溝松平家)、忠定・好景・伊忠・家忠・忠利・忠房・忠和の七代の霊と、宗像大神(多岐津比売神多岐理比売神狭依比売神宗像三女神)、稲荷明神を合祀し、現在の社号になった。

境内には、島原護国神社、潜龍園神社、蚕霊神社などがある。また、島原鉄道C12形蒸気機関車(C1201号機)や、島原鉄道初代社長で、島原市初代市長の植木元太郎像がある。

例祭は10月13日-15日。

当社と、霊丘公園は、3月から4月にかけては約250本のソメイヨシノが、5月上旬から下旬にかけては、ヒラドつつじ約3000本が咲き、花見のスポットとしても知られている。

【ご利益】
天下泰平、地域安全、地域振興、事業成功
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