高知城の鬼門鎮護、土佐山内家ゆかりの地から牛頭天王宮を勧請
[住所]高知県高知市薊野中町8-30
[電話]088-845-0005
掛川神社(かけがわじんじゃ)は、高知県高知市薊野中町にある神社。近代社格では無格社。全国東照宮連合会に加盟している。参拝すれば、「三つ葉葵」「丸に三つ柏」の神紋などがある御朱印を頂ける。高知八幡宮で頂けるとも。
大國主神、素盞男命、稲田姫命を奉斎している。一名陽貴山という立石山に鎮座し、浦戸湾の最奥部に面し、附近の平地の中に孤立した霊地で、古来より神霊鎮祭の地と推定されている。
江戸時代の寛永18年(1641年)、土佐藩の2代藩主山内忠義が自らの産土神である遠江国掛川の牛頭天王宮(現 龍尾神社)の御分霊を勧請し、高知城の鬼門鎮護として奉斎したことに始まる。
城内八社の一つで、藩主直祭の社として歴代藩主の崇敬篤く、忠義が奉納した太刀(銘:延寿国時)と第10代藩主山内豊策が奉納した太刀(銘:康光)はともに国の重要文化財に指定されてる。
延宝8年(1680年)、4代藩主山内豊昌が徳川家康の位牌殿を設けた。この際、「三つ葉葵」の神紋の使用許可が下りたという。文化11年(1814年)、12代藩主山内豊資が社殿を造営した。
明治元年(1868年)、懸川神社に改称、境内社の家康を祀る社を東照神社とし、明治13年(1880年)、当社に合祀した。明治44年(1911年)に現社号とした。
明治32年(1899年)には龍宮神社(事代主神・武内宿禰)、海津見神社(海津見神)を合祀した。
【ご利益】
方位除け、厄災除け、夫婦和合、事業成功、水難除け
【関連記事】
・東照宮とは? - 薨去400年の東照大権現たる徳川家康を祀る、全国100社以上が現存する神社
・高知県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、高知県に鎮座している神社の一覧
[電話]088-845-0005
掛川神社(かけがわじんじゃ)は、高知県高知市薊野中町にある神社。近代社格では無格社。全国東照宮連合会に加盟している。参拝すれば、「三つ葉葵」「丸に三つ柏」の神紋などがある御朱印を頂ける。高知八幡宮で頂けるとも。
大國主神、素盞男命、稲田姫命を奉斎している。一名陽貴山という立石山に鎮座し、浦戸湾の最奥部に面し、附近の平地の中に孤立した霊地で、古来より神霊鎮祭の地と推定されている。
江戸時代の寛永18年(1641年)、土佐藩の2代藩主山内忠義が自らの産土神である遠江国掛川の牛頭天王宮(現 龍尾神社)の御分霊を勧請し、高知城の鬼門鎮護として奉斎したことに始まる。
城内八社の一つで、藩主直祭の社として歴代藩主の崇敬篤く、忠義が奉納した太刀(銘:延寿国時)と第10代藩主山内豊策が奉納した太刀(銘:康光)はともに国の重要文化財に指定されてる。
延宝8年(1680年)、4代藩主山内豊昌が徳川家康の位牌殿を設けた。この際、「三つ葉葵」の神紋の使用許可が下りたという。文化11年(1814年)、12代藩主山内豊資が社殿を造営した。
明治元年(1868年)、懸川神社に改称、境内社の家康を祀る社を東照神社とし、明治13年(1880年)、当社に合祀した。明治44年(1911年)に現社号とした。
明治32年(1899年)には龍宮神社(事代主神・武内宿禰)、海津見神社(海津見神)を合祀した。
【ご利益】
方位除け、厄災除け、夫婦和合、事業成功、水難除け
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