織田信長を祀る、「たけいさお」だが「けんくん」さんと親しまれる
建勲神社(たけいさおじんじゃ)とは、織田信長を祀る神社及びその総称である。全国に三つある。明治になり、改めて信長に神号が授与されたことにより、いずれも同じタイミングで改称して成立している。ただし、創祀はもっと古く、江戸初期にまでさかのぼるものもある。
正しくは「たけいさおじんじゃ」と読むが、一般には「けんくんじんじゃ」と呼ばれ、「けんくんさん」と通称される。旧称は健織田社(たけしおりたのやしろ)、建勲社(たけいさおしゃ)。
明治2年11月8日(1869年12月10日)、「日本が外国に侵略されなかったのは、天下統一をめざして日本を一つにまとめた信長のおかげ」として、戦国時代を天下統一、朝儀復興などを進めた織田信長を賛えるための神社創建が明治天皇により決定された。
信長の子孫で天童藩知事・織田信敏の東京にある邸内と織田家旧領地の山形県天童市に社殿が造営され、後に東京邸内のものは京都市に遷座した。これらとは別に、兵庫県丹波市の旧柏原藩にも信長は祀られており、やはり明治期に整備された。
豊臣秀吉を祀る神社には豊国神社が、徳川家康を祀る神社には東照宮がある。
[説明]秀吉が定めた信長廟所、京都船岡山
[住所]京都市北区紫野北舟岡町49
[電話]075-451-0170
[説明]信長の次男・信雄の四男の子孫の天童藩
[住所]天童市天童字城山1043
[電話]023-653-0289
[説明]信長の次男・信雄の五男の子孫の柏原藩
[住所]丹波市柏原町柏原525-2
[電話]-
【関連記事】
・神社いろいろ - 社格や形式などで神社を分類したまとめ - 神社のまとめ・時事その他編
正しくは「たけいさおじんじゃ」と読むが、一般には「けんくんじんじゃ」と呼ばれ、「けんくんさん」と通称される。旧称は健織田社(たけしおりたのやしろ)、建勲社(たけいさおしゃ)。
明治2年11月8日(1869年12月10日)、「日本が外国に侵略されなかったのは、天下統一をめざして日本を一つにまとめた信長のおかげ」として、戦国時代を天下統一、朝儀復興などを進めた織田信長を賛えるための神社創建が明治天皇により決定された。
信長の子孫で天童藩知事・織田信敏の東京にある邸内と織田家旧領地の山形県天童市に社殿が造営され、後に東京邸内のものは京都市に遷座した。これらとは別に、兵庫県丹波市の旧柏原藩にも信長は祀られており、やはり明治期に整備された。
豊臣秀吉を祀る神社には豊国神社が、徳川家康を祀る神社には東照宮がある。
京都府 建勲神社(京都市)
[説明]秀吉が定めた信長廟所、京都船岡山
[住所]京都市北区紫野北舟岡町49
[電話]075-451-0170
山形県 建勲神社(天童市)
[説明]信長の次男・信雄の四男の子孫の天童藩
[住所]天童市天童字城山1043
[電話]023-653-0289
兵庫県 建勲神社(丹波市)
[説明]信長の次男・信雄の五男の子孫の柏原藩
[住所]丹波市柏原町柏原525-2
[電話]-
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