松平家発祥地の松平郷に鎮座する八幡神、家康にも献上された産湯の井戸
[住所]愛知県豊田市松平町赤原
[電話]0565-58-1621

松平東照宮(まつだいらとうしょうぐう)は、愛知県豊田市松平町にある神社。八幡神社松平東照宮とも。徳川家康を祀る東照宮の一つで、全国東照宮連合会に加盟している。参拝すれば、松平親氏の願文の一部などがある御朱印を頂ける。

後宇多天皇に仕えた公家の在原信盛が弘安年間(1278年-1287年)に開拓した松平郷に鎮座する。もとは、信盛が本屋敷を構えた敷地。松平郷は徳川家康登場までの松平八代の故郷で、現在は国の史跡。

信盛の子信重は、開拓をさらに進め、人馬の道を作り交通の便を図った。後にこの地を訪れた旅の僧徳阿弥は、信重の末娘水女の婿として家を継ぎ親氏と称した。

これが徳川家の始祖松平太郎左衛門親氏(?-1394年)となる。親氏が氏神として若宮八幡(現 鶴岡八幡宮譽田別命)を勧請したと伝えられるのが当宮の草創。

ちなみに、群馬県太田市には得川郷(徳川郷)と呼ばれる地域があり、親氏が旅立った伝承が残る。現在の徳川東照宮である。

9代松平尚栄が館の整備を行い、元和5年(1619年)に久能山東照宮より徳川家康公(東照公)の御分霊を勧請し奉祀、昔は例祭に三河国各地より献馬があり、盛大な権現祭が斎行されていた。

明治維新後は三河国各地からの献馬は中止されたが、近郷集落より献馬、空砲、棒の手の奉納がされるようになり、終戦まで続いた。

大正5年(1916年)、松平郷内に奉斎の三社を合併し、昭和初期に松平家の館跡へ境内を拡張し、現在の社殿を新築し、旧社殿を奥宮とした。

昭和40年(1965年)に初代松平親氏公を合祀、八幡神社から松平神社に改めた。「松平の権現様」「松平の東照宮」と呼称されたが、昭和58年(1983年)に現社号に定まった。

奥宮のすぐ右手、信盛が掘ったと言われ、松平家が代々産湯に用いた産湯の井戸がある。岡崎城主松平広忠の子、竹千代(後の家康)が誕生した際、この水を竹筒に入れ早馬で届けたと言われている。現在も授与所でこの水が頂ける。

例祭は4月17日より前の日曜とその前日で「松平春祭り」。土曜日にお水取り神事と天筒花火奉納、日曜に神輿が高月院の墓所まで行く。2月第2日曜日には「天下祭」がある。厄払いの裸祭り。

境内には松平郷館があり、無料で松平氏の歴史などが学べる。

【ご利益】
立身出世、政治の守神、安産、厄災除け(公式HP
松平東照宮 - 松平家発祥地の松平郷に鎮座する八幡神、家康にも献上された産湯の井戸
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松平東照宮の御朱印