家康の遺言で増上寺に建立された社殿、家光が植樹した大イチョウと家康寿像
[住所]東京都港区芝公園4-8-10
[電話]03-3431-9658
芝東照宮(しばとうしょうぐう)は、東京都港区芝公園にある神社。徳川家康を祀る東照宮の一つで、御神体は徳川家康寿像。参拝すれば、御朱印を頂ける。
近代社格では郷社。全国東照宮連合会に加盟している。日光東照宮、久能山東照宮、上野東照宮と並ぶ四大東照宮の一つとされる。
徳川家康が慶長6年(1601年)に還暦を迎えた記念に自らの像を刻ませた「寿像」を、自身が駿府城において祭祀していた。
元和2年(1616年)、家康は死去に際して寿像を祭祀する社殿を増上寺に建造するよう遺言した。この寿像が現存し、現在は都の重要文化財。
同年10月に着工し、翌元和3年(1617年)2月に竣工。この社殿は家康の法名「安国院殿徳蓮社崇誉道大居士」より「安国殿」と呼ばれた。
その後、3代将軍家光により寛永10年(1633年)に新社殿が造営され、旧社殿は開山堂となった。現存の大イチョウは家光の植樹とされる。現在は都の天然記念物。
寛永18年(1641年)には、駿府城より移築された惣門、福岡藩主黒田忠之が寄進した鳥居、本殿の周囲に拝殿、唐門、透塀が造営され、豪奢な社殿が整った。
明治初期の神仏分離令により、増上寺から切り離されて独立。明治6年(1873年)に郷社に列した。
本殿は大正4年(1915年)、当時の古社寺保存法に基づき特別保護建造物(現行法の重要文化財に相当)に指定された。
しかし、昭和20年(1945年)5月25日の東京大空襲により寿像と御神木のイチョウを残し、あとは全て焼失した。昭和44年(1969年)現在の社殿が再建された。
例祭は4月17日。現在は、増上寺とともに都内有数の観光地であり、またパワースポットとしても名高い。
【ご利益】
勝運、厄災除け(公式HP)

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[電話]03-3431-9658
芝東照宮(しばとうしょうぐう)は、東京都港区芝公園にある神社。徳川家康を祀る東照宮の一つで、御神体は徳川家康寿像。参拝すれば、御朱印を頂ける。
近代社格では郷社。全国東照宮連合会に加盟している。日光東照宮、久能山東照宮、上野東照宮と並ぶ四大東照宮の一つとされる。
徳川家康が慶長6年(1601年)に還暦を迎えた記念に自らの像を刻ませた「寿像」を、自身が駿府城において祭祀していた。
元和2年(1616年)、家康は死去に際して寿像を祭祀する社殿を増上寺に建造するよう遺言した。この寿像が現存し、現在は都の重要文化財。
同年10月に着工し、翌元和3年(1617年)2月に竣工。この社殿は家康の法名「安国院殿徳蓮社崇誉道大居士」より「安国殿」と呼ばれた。
その後、3代将軍家光により寛永10年(1633年)に新社殿が造営され、旧社殿は開山堂となった。現存の大イチョウは家光の植樹とされる。現在は都の天然記念物。
寛永18年(1641年)には、駿府城より移築された惣門、福岡藩主黒田忠之が寄進した鳥居、本殿の周囲に拝殿、唐門、透塀が造営され、豪奢な社殿が整った。
明治初期の神仏分離令により、増上寺から切り離されて独立。明治6年(1873年)に郷社に列した。
本殿は大正4年(1915年)、当時の古社寺保存法に基づき特別保護建造物(現行法の重要文化財に相当)に指定された。
しかし、昭和20年(1945年)5月25日の東京大空襲により寿像と御神木のイチョウを残し、あとは全て焼失した。昭和44年(1969年)現在の社殿が再建された。
例祭は4月17日。現在は、増上寺とともに都内有数の観光地であり、またパワースポットとしても名高い。
【ご利益】
勝運、厄災除け(公式HP)

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