行方不明の家康の愛鷹が舞い降りた「御鷹松」、5月例祭に大神輿の渡御
[住所]千葉県匝瑳市八日市場イ2435
[電話]0479-72-1099
八日市場東照宮(ようかいちばとうしょうぐう)は、千葉県匝瑳市八日市場にある神社。御祭神は徳川家康。県内にはもともと単独の東照宮は少なく、当社は県内で唯一、全国東照宮連合会に加盟している神社でもある。参拝すれば、御朱印を頂ける。
江戸時代の慶長19年(1614年)正月、徳川家康が上総国東金で鷹狩りをしていたところ、愛鷹が空高く飛び去ってしまい行方不明となった。
後、当地の医王寺の松の梢に鷹が飛来したので住僧がこれを保護し、家康のもとに無事に鷹が戻った。この医王寺の松を「御鷹松」と呼ぶようになった。
寛永9年(1632年)に医王寺が真言宗より天台宗に改宗した際に、天海僧正は松の由来を聞き、松の根本に東照大権現を勧請し、天海僧正真筆の尊号掛軸を御神体として創祀された。
医王寺が別当となり管理した。寛文9年(1669年)、当地の旗本稲垣氏が領地の一部を寄進している。
天保11年(1840年)に俗称「按摩火事」によって町の大半が焼失した際、医王寺や当社も類焼した。
明治2年(1869年)の神仏分離によって東照宮に改称、医王寺と切り離し、門前の社地に遷座した。明治5年(1872年)に天海僧正の掛け軸は東栄寺所蔵となった。
平成3年(1991年)に道路拡張に伴い現在地に遷座、あわせて現社号に改称した。境内には、新たに「御鷹松」が植えられた。
宝暦9年(1759年)正月の常夜灯や寛政3年(1791年)4月の庚申塔などがある。例祭は5月。大神輿の渡御があり、高張提灯、子供神輿、囃子などが町内を練り歩く。
【ご利益】
地域・家内安全、身体壮健、事業成功、探し物発見

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・東照宮とは? - 薨去400年の東照大権現たる徳川家康を祀る、全国100社以上が現存する神社
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八日市場東照宮(ようかいちばとうしょうぐう)は、千葉県匝瑳市八日市場にある神社。御祭神は徳川家康。県内にはもともと単独の東照宮は少なく、当社は県内で唯一、全国東照宮連合会に加盟している神社でもある。参拝すれば、御朱印を頂ける。
江戸時代の慶長19年(1614年)正月、徳川家康が上総国東金で鷹狩りをしていたところ、愛鷹が空高く飛び去ってしまい行方不明となった。
後、当地の医王寺の松の梢に鷹が飛来したので住僧がこれを保護し、家康のもとに無事に鷹が戻った。この医王寺の松を「御鷹松」と呼ぶようになった。
寛永9年(1632年)に医王寺が真言宗より天台宗に改宗した際に、天海僧正は松の由来を聞き、松の根本に東照大権現を勧請し、天海僧正真筆の尊号掛軸を御神体として創祀された。
医王寺が別当となり管理した。寛文9年(1669年)、当地の旗本稲垣氏が領地の一部を寄進している。
天保11年(1840年)に俗称「按摩火事」によって町の大半が焼失した際、医王寺や当社も類焼した。
明治2年(1869年)の神仏分離によって東照宮に改称、医王寺と切り離し、門前の社地に遷座した。明治5年(1872年)に天海僧正の掛け軸は東栄寺所蔵となった。
平成3年(1991年)に道路拡張に伴い現在地に遷座、あわせて現社号に改称した。境内には、新たに「御鷹松」が植えられた。
宝暦9年(1759年)正月の常夜灯や寛政3年(1791年)4月の庚申塔などがある。例祭は5月。大神輿の渡御があり、高張提灯、子供神輿、囃子などが町内を練り歩く。
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