「皇統を守護した」英雄? 西日本を中心に各地にゆかりの社
和気 清麻呂(わけ の きよまろ)は、奈良時代末期から平安時代初期の貴族である。称徳天皇の時代、弓削道鏡などの宇佐神宮神託事件で有名。幕末・明治期以降、「皇統を守護した」として特に顕彰された。西日本を中心に各地にゆかりの神社がある。一部は、イノシシ、狛猪などでも有名。
宇佐神宮神託事件では、当初にあった神託の確認のため、称徳天皇は当初、側近の尼僧・和気広虫(法均尼)を指名したが、虚弱な法均では長旅は堪えられぬため、その弟を召した。それが清麻呂である。
そのため、現在も清麻呂ゆかりの神社の中には、広虫が関連しているものも少なくない。
宇佐神宮神託事件はおそらく、道鏡への禅譲を図った称徳天皇が主導したものと思われる。道鏡が積極的に皇位を狙った、ということではないことは、称徳天皇崩御後の道鏡に対する罰則が、下野国への左遷程度におさまっていることでもわかる。
当時ありがちな中国かぶれだった称徳天皇が、子供の生まれる可能性のない自身の女帝という地位と相まって、本家中国でも実現したことのない最大級の善事「禅譲」を、日本で実現させたいと願った。
また、戒律の厳しい当時、道鏡にも子供ができる可能性はなく、道鏡も皇位継承に際してはやはり禅譲する形になることが予想されたことから、称徳天皇としては日本に未来永劫「禅譲」が続くユートピアを構想したのかもしれない。
当時の保守派を代表して、これに反対したのが清麻呂なのだから、現在からみて「皇統を守護した」という評価は間違いない。ただし、事件の真相が上述のようだったのであれば、時の天皇自らが皇統破棄に走ろうとした、ということの裏返しにはなるのだが。
事件直後の当時はそうでもなかったが、後世、道鏡は極度に悪者にされた。天皇を悪者にはできないので、人身御供となった形だ。これは、称徳天皇が事件を主導したというものの目くらましになったと思われ、また、清麻呂の評価の増大につながった。
幕末、特に明治以降、清麻呂のこの名声が皇室の絶対性確立に利用された側面はもちろんある。ただ、それを差し置いても、清麻呂ゆかりの神社がこれだけ各地にあり、現在も語り継がれているところに、清麻呂の日本の信仰に対する重要性がうかがえる。
それにしても、なぜイノシシ(猪)なのか?
[説明]清麻呂と姉・広虫を祀る「子育明神」
[住所]京都市上京区烏丸通下長者町下ル桜鶴円町385
[電話]075-441-5458
[説明]和気氏発祥、清麻呂生誕の地
[住所]和気郡和気町藤野1385
[電話]0869-93-3910
[説明]清麻呂が遠島となった地に鎮座
[住所]霧島市牧園町宿窪田3986
[電話]0995-77-2885
[説明]清麻呂が神託を受けた宇佐の地
[住所]宇佐市南宇佐2895
[電話]0978-37-0202 - 宇佐市観光協会宇佐支部
[説明]姉・広虫が弟の雪冤を祈願して創祀
[住所]三原市八幡町宮内7
[電話]0848-65-8652
[説明]清麻呂の危機を救った猪が登場
[住所]加古川市八幡町野村580
[電話]079-438-6522
[説明]重傷を負った清麻呂が療養した地
[住所]北九州市小倉北区妙見町17-2
[電話]093-921-2292
[説明]清麻呂の杖が「日本一の大楠」に
[住所]姶良市蒲生町上久徳2259-1
[電話]0995-52-9029
[説明]二葉山神社(宇佐市)の境内社、脚の疲れ癒す
[住所]宇佐市大字下敷田字西八龍780
[電話]-
[説明]平安遷都時に清麻呂が創建した社
[住所]京都市右京区京北鳥居町宮ノ元1
[電話]0771-53-0026
[説明]清麻呂が中興に尽力した神社
[住所]京都市右京区嵯峨愛宕町
[電話]075-861-0658
[説明]江戸期に御神体を合祀
[住所]久世郡久御山町佐山双栗55
[電話]0774-43-2622
[説明]清麻呂が八幡神を勧請して創建
[住所]伊都郡かつらぎ町萩原56
[電話]0736-22-0300
[説明]清麻呂が勧請して創建と伝わる
[住所]宇部市船木392
[電話]0836-67-0071
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宇佐神宮神託事件では、当初にあった神託の確認のため、称徳天皇は当初、側近の尼僧・和気広虫(法均尼)を指名したが、虚弱な法均では長旅は堪えられぬため、その弟を召した。それが清麻呂である。
そのため、現在も清麻呂ゆかりの神社の中には、広虫が関連しているものも少なくない。
宇佐神宮神託事件はおそらく、道鏡への禅譲を図った称徳天皇が主導したものと思われる。道鏡が積極的に皇位を狙った、ということではないことは、称徳天皇崩御後の道鏡に対する罰則が、下野国への左遷程度におさまっていることでもわかる。
当時ありがちな中国かぶれだった称徳天皇が、子供の生まれる可能性のない自身の女帝という地位と相まって、本家中国でも実現したことのない最大級の善事「禅譲」を、日本で実現させたいと願った。
また、戒律の厳しい当時、道鏡にも子供ができる可能性はなく、道鏡も皇位継承に際してはやはり禅譲する形になることが予想されたことから、称徳天皇としては日本に未来永劫「禅譲」が続くユートピアを構想したのかもしれない。
当時の保守派を代表して、これに反対したのが清麻呂なのだから、現在からみて「皇統を守護した」という評価は間違いない。ただし、事件の真相が上述のようだったのであれば、時の天皇自らが皇統破棄に走ろうとした、ということの裏返しにはなるのだが。
事件直後の当時はそうでもなかったが、後世、道鏡は極度に悪者にされた。天皇を悪者にはできないので、人身御供となった形だ。これは、称徳天皇が事件を主導したというものの目くらましになったと思われ、また、清麻呂の評価の増大につながった。
幕末、特に明治以降、清麻呂のこの名声が皇室の絶対性確立に利用された側面はもちろんある。ただ、それを差し置いても、清麻呂ゆかりの神社がこれだけ各地にあり、現在も語り継がれているところに、清麻呂の日本の信仰に対する重要性がうかがえる。
それにしても、なぜイノシシ(猪)なのか?
京都府 護王神社
[説明]清麻呂と姉・広虫を祀る「子育明神」
[住所]京都市上京区烏丸通下長者町下ル桜鶴円町385
[電話]075-441-5458
岡山県 和気神社(和気町)
[説明]和気氏発祥、清麻呂生誕の地
[住所]和気郡和気町藤野1385
[電話]0869-93-3910
鹿児島県 和気神社(霧島市)
[説明]清麻呂が遠島となった地に鎮座
[住所]霧島市牧園町宿窪田3986
[電話]0995-77-2885
大分県 大尾神社(宇佐市)
[説明]清麻呂が神託を受けた宇佐の地
[住所]宇佐市南宇佐2895
[電話]0978-37-0202 - 宇佐市観光協会宇佐支部
広島県 御調八幡宮
[説明]姉・広虫が弟の雪冤を祈願して創祀
[住所]三原市八幡町宮内7
[電話]0848-65-8652
兵庫県 宗佐厄神八幡神社
[説明]清麻呂の危機を救った猪が登場
[住所]加古川市八幡町野村580
[電話]079-438-6522
福岡県 御祖神社(北九州市)
[説明]重傷を負った清麻呂が療養した地
[住所]北九州市小倉北区妙見町17-2
[電話]093-921-2292
鹿児島県 蒲生八幡神社(姶良市)
[説明]清麻呂の杖が「日本一の大楠」に
[住所]姶良市蒲生町上久徳2259-1
[電話]0995-52-9029
大分県 日枝神社
[説明]二葉山神社(宇佐市)の境内社、脚の疲れ癒す
[住所]宇佐市大字下敷田字西八龍780
[電話]-
京都府 山国神社
[説明]平安遷都時に清麻呂が創建した社
[住所]京都市右京区京北鳥居町宮ノ元1
[電話]0771-53-0026
京都府 愛宕神社(京都市)
[説明]清麻呂が中興に尽力した神社
[住所]京都市右京区嵯峨愛宕町
[電話]075-861-0658
京都府 雙栗神社
[説明]江戸期に御神体を合祀
[住所]久世郡久御山町佐山双栗55
[電話]0774-43-2622
和歌山県 寶來山神社
[説明]清麻呂が八幡神を勧請して創建
[住所]伊都郡かつらぎ町萩原56
[電話]0736-22-0300
岡崎八幡宮
[説明]清麻呂が勧請して創建と伝わる
[住所]宇部市船木392
[電話]0836-67-0071
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