博多復興の神屋宗湛が秀吉の恩に報いるため邸宅で鎮祭、明治創建
[住所]福岡県福岡市博多区奈良屋町1-17
[電話]-
豊国神社(ほうこくじんじゃ)は、福岡県福岡市博多区奈良屋町にある神社。安土桃山から江戸期にかけての貿易商神屋宗湛の屋敷跡に豊臣秀吉を祀る豊国神社の一つ。御朱印の有無は不明。
神屋宗湛(1553年-1635年)は、博多を代表する貿易家。曾祖父寿貞は石見銀山の発見者。天正10年(1587年)の大阪城茶会で秀吉から「筑紫ノ坊主」と呼ばれ、千利休と会席する茶人でもあった。
天正10年、秀吉と箱崎から南蛮船に乗り、荒廃した博多を視察、町割りに着手した。その際当地に間口13間半、奥行30間の宅地が秀吉から与えられた。これが神屋宗湛屋敷跡である。
宗湛は邸宅の敷地の他、町役免除の特権も与えられ、秀吉の死後、その恩に報いるため、早くからこの邸内に密かに秀吉を祀ったとされている。
その基礎の上に、明治19年(1886年)の博多復興三百年を記念して、整備されたのが当社。宗湛の墓は妙楽寺にある。
宗湛が実際に博多再興の際に町割りに使った6尺6寸の間杖が当社に伝えられ、御神体として祀られていたが、太平洋戦争の戦災で焼失した。
豊国神社は全国各地にあり、本社は京都市東山区に、秀吉生誕地の名古屋市、大坂城のおひざ元として大阪市中央区に、秀吉ゆかりの滋賀県長浜市、前田利家の意志として祀られたものが石川県金沢市に、阿波蜂須賀家が江戸期に創建したものが徳島県小松島市にある。
【ご利益】
立身出世、復興・振興、商売繁盛

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・豊国神社とは? - 豊臣秀吉を祀る「とよくに」「ほうこく」、江戸期から秘密裏に奉斎も
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豊国神社(ほうこくじんじゃ)は、福岡県福岡市博多区奈良屋町にある神社。安土桃山から江戸期にかけての貿易商神屋宗湛の屋敷跡に豊臣秀吉を祀る豊国神社の一つ。御朱印の有無は不明。
神屋宗湛(1553年-1635年)は、博多を代表する貿易家。曾祖父寿貞は石見銀山の発見者。天正10年(1587年)の大阪城茶会で秀吉から「筑紫ノ坊主」と呼ばれ、千利休と会席する茶人でもあった。
天正10年、秀吉と箱崎から南蛮船に乗り、荒廃した博多を視察、町割りに着手した。その際当地に間口13間半、奥行30間の宅地が秀吉から与えられた。これが神屋宗湛屋敷跡である。
宗湛は邸宅の敷地の他、町役免除の特権も与えられ、秀吉の死後、その恩に報いるため、早くからこの邸内に密かに秀吉を祀ったとされている。
その基礎の上に、明治19年(1886年)の博多復興三百年を記念して、整備されたのが当社。宗湛の墓は妙楽寺にある。
宗湛が実際に博多再興の際に町割りに使った6尺6寸の間杖が当社に伝えられ、御神体として祀られていたが、太平洋戦争の戦災で焼失した。
豊国神社は全国各地にあり、本社は京都市東山区に、秀吉生誕地の名古屋市、大坂城のおひざ元として大阪市中央区に、秀吉ゆかりの滋賀県長浜市、前田利家の意志として祀られたものが石川県金沢市に、阿波蜂須賀家が江戸期に創建したものが徳島県小松島市にある。
【ご利益】
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