西町八幡・正八幡宮とも呼ばれる、式内「荒方神社」論社
[住所]岐阜県大垣市墨俣町墨俣1
[電話]-
八幡神社(はちまんじんじゃ)は、岐阜県大垣市墨俣町墨俣にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「荒方神社(美濃国・安八郡)」に比定される式内社(小社)の論社。
西町八幡神社とも、正八幡宮とも。大垣市内には有名な大垣八幡神社があるが、当社とは別の神社。
『美濃国神名帳』に「従一位 荒方明神」だったものが、後に八幡に改まったものとも。式内社「荒方神社」の論社は他に、白鬚神社がある。
もともとの位置は現在地の北、犀川河川敷であり、本巣郡と安八郡の境に存在したという。であれば、白鬚神社の旧社地と重なる。
現在の御祭神は応神天皇。ただし、荒方神社の際は、素盞嗚尊八世孫で和邇君などの祖である阿多賀田須命(吾田片隅命)を祀っていたとも。
式内社としての論拠は、白鬚神社と大きな違いはないようだ。
古来当社の少し南に鎌倉街道があり、美濃路は大鳥居の前を通り、東国・西国を結ぶ交通の要衝の地だった。中世以降、武人の崇敬が厚かったという。
特に、山内一豊の臣とも伝わる、豊臣秀吉の家臣で墨俣城主であった人物により、深く崇敬されたと伝わる。武運や領国鎮護に御神徳があったとされる。
例祭は10月10日。明治維新前は毎年8月5日だったが、改められた。
境内社に、右手には秋葉社・産神・津島社。本殿石垣の下には豊国社。石垣の左手には御鍬社と古渡稲荷社がある。豊国社は豊臣秀吉を祀る豊国神社の一つだろうか、詳細は不明。
【ご利益】
厄災除け、地域振興、地域・家内安全

【関連記事】
・豊国神社とは? - 豊臣秀吉を祀る「とよくに」「ほうこく」、江戸期から秘密裏に奉斎も
・岐阜県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、岐阜県に鎮座している神社の一覧
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八幡神社(はちまんじんじゃ)は、岐阜県大垣市墨俣町墨俣にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「荒方神社(美濃国・安八郡)」に比定される式内社(小社)の論社。
西町八幡神社とも、正八幡宮とも。大垣市内には有名な大垣八幡神社があるが、当社とは別の神社。
『美濃国神名帳』に「従一位 荒方明神」だったものが、後に八幡に改まったものとも。式内社「荒方神社」の論社は他に、白鬚神社がある。
もともとの位置は現在地の北、犀川河川敷であり、本巣郡と安八郡の境に存在したという。であれば、白鬚神社の旧社地と重なる。
現在の御祭神は応神天皇。ただし、荒方神社の際は、素盞嗚尊八世孫で和邇君などの祖である阿多賀田須命(吾田片隅命)を祀っていたとも。
式内社としての論拠は、白鬚神社と大きな違いはないようだ。
古来当社の少し南に鎌倉街道があり、美濃路は大鳥居の前を通り、東国・西国を結ぶ交通の要衝の地だった。中世以降、武人の崇敬が厚かったという。
特に、山内一豊の臣とも伝わる、豊臣秀吉の家臣で墨俣城主であった人物により、深く崇敬されたと伝わる。武運や領国鎮護に御神徳があったとされる。
例祭は10月10日。明治維新前は毎年8月5日だったが、改められた。
境内社に、右手には秋葉社・産神・津島社。本殿石垣の下には豊国社。石垣の左手には御鍬社と古渡稲荷社がある。豊国社は豊臣秀吉を祀る豊国神社の一つだろうか、詳細は不明。
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