台湾の近代化にも尽力した児玉源太郎を奉斎、李登輝揮毫の偏額
[住所]神奈川県藤沢市江の島1-4-3
[電話]0466-22-2410

児玉神社(こだまじんじゃ)は、神奈川県藤沢市江の島にある神社。日露戦争で活躍した明治時代の軍人児玉源太郎を祀る。近代社格では県社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

日露開戦間際の明治37年(1904年)頃、参謀次長となった児玉は、毎日曜日に鎌倉の別荘に静養のため出かけた。

しかし、面会希望の者たちが鎌倉に押しかけてくるので、こっそり江ノ島の山中に閉じ籠もり、おもむろにシベリアの形勢を案じていた。

ところが、いつの間にかこの退避先にも「陸軍の諸星や顕官の面々」が押し寄せるので、江ノ島町内の噂となった。

児玉であることが知れて、町内は大いに沸いたという。そのため、明治39年(1906年)の児玉の死後、町民らが社地を購入して、その霊を祀ったという。

大正7年(1918年)に内務大臣から兒玉神社として認可を受け、創建された。江島神社のすぐ近くに鎮座する。

かつて台湾総督として台湾の近代化に尽力した縁により台湾の有志による崇敬も篤い。

一の鳥居は石造で、台湾の婦人会が寄進したものであり、口の中の玉が回る名品の狛犬は昭和5年(1930年)に台湾の有志から贈られ、雄が銭を持ち、雌が子供を持っている造形。

平成18年(2006年)7月23日、児玉源太郎歿後100年を記念する例大祭で除幕された神楽殿正面の扁額は、揮毫が李登輝元台湾総統。

境内には他に、爾霊山高地の石塊・棗萩松碑がある。日露戦争の激戦地203高地に漢字を当てはめた、台湾総督として児玉の前任者であった乃木希典の漢詩による。

児玉の上司にあたる山縣有朋の歌「越えはまた 里やあらむと 頼みてし 杖さへ折れぬ 老いの坂道」の歌碑や、児玉が抜擢した後藤新平の詩碑「森嚴羽衛老將軍。功烈眞兼武與文。造次不離忠孝旨。于花于月又思君。」がある。

現在は、軍神にあやかって、勝運の神として、幅広く信仰されている。なお、児玉の出生地である山口県周南市にも同名の神社があるが、当社の社殿を移築して創建されたもの。

【ご利益】
勝運の神、武運長久
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児玉神社(藤沢市)の御朱印