普都神話に由来する竹来三社とも呼ばれた信太郡二宮、式内社
阿彌神社(茨城県稲敷郡阿見町竹来1366)
[住所]茨城県稲敷郡阿見町竹来1366
[電話]029-887-1656

阿彌神社(あみじんじゃ)は、茨城県稲敷郡阿見町竹来、旧信太郡竹来村にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 常陸国 信太郡「阿弥神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社

創建には諸説あるが、境内案内板では第33代推古天皇15年(607年)、『明治神社誌料』などでは、奈良時代の和銅年間(708年-715年)とする。

主祭神は、健御雷之男命経津主命天兒屋根命を配祀する。

竹来三社とも呼ばれる。竹来(高来、たかく)は、『常陸国風土記』の普都神話に由来する地名で、普都大神の登天(高往く)の聖地。

社地は霞ヶ浦に向いた舌状台地にあり、奥部は中世の竹来館(花ノ井館)の遺構。この山を普都神話になぞらえて「楯縫山」という。

竹来三社とは、鹿島神宮を勧請した場合、武甕槌命1柱となる場合が多いのに対して、当社は、鹿島神宮(天之大神社)の武甕槌命、坂戸社の天児屋根命、沼尾社の経津主命(香島天之大神)の3柱を祀ることに由来する。

元禄4年(1691年)2月、三間社流造の本殿を造立したことが棟札から分かる。宝暦6年(1756年)には神楽殿が造立された。

信太郡二宮・二宮明神とも呼ばれ、近世には阿見町中郷の同名神社と、式内社の比定論争が展開された。

ちなみに、信太郡一宮は、美浦村郷中(木原)の楯縫神社とされる。楯縫神社が信太郡東半分の総社とされたのに対して、当社は西半分の総社とも。

ただし、式内社「楯縫神社」の他の論社である美浦村信太の楯縫神社は、信太城址の東北、信太郡衙の候補地に立地し、信太郡惣社を称している。

どちらにしろ、木原の楯縫神社とは普都神話を共有しており、関係が深く、南北朝時代はともに「庄内第一の宗廟」とされ、以前は両社で普都神話を縁起とする古式祭を行っていたという。

明治6年10月(1873年)、現社号に改称し、県社に列し、8ヶ村の氏神となる。

参道からは7箇所に渡って北西にのみ小道が分かれ、それぞれ境内社の石祠または石碑を祀っている。樹叢が町指定天然記念物で、神域は県指定緑地環境保全地域となっている。

なお、当社と、阿見町曙(大室)の室崎神社(天児屋根命)、阿見町廻戸の十握神社(經津主神)は、ほぼ直線状に並び、すべて南西向きに祀られている。

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阿彌神社(阿見町竹来) - 普都神話に由来する竹来三社とも呼ばれた信太郡二宮、式内社
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