普津主神が甲楯を脱いだ楯脱山、室町期の木造狛犬、信太郡一宮
楯縫神社(美浦村郷中)
[住所]茨城県稲敷郡美浦村郷中2988
[電話]-

楯縫神社(たてぬいじんじゃ)は、茨城県稲敷郡美浦村郷中(木原)にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 常陸国 信太郡「楯縫神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社

主祭神は普都主命(普津主神、普都主大神)、つまり経津主神。創建は第33代推古天皇16年(608年)だという。初代神武天皇18年とも、第43代元明天皇の和銅元年(708年)とも。

普都大神は、葦原中国平定の後、木原で甲楯を脱ぎ、高来里で登天した。甲楯を脱いだことから「楯脱」の地名が生まれ、後に「楯縫」になった。社地には「楯脱山」の地名が残る。

『延喜式』神名帳には楯縫神社が他に3社あり、但馬国養父郡、但馬国気多郡、丹波国氷上郡。

いずれも小社で、主祭神は楯縫神(彦狹知命)。その共通性が指摘されており、当社の主神も彦狹知命とする説、あるいは現在は配祀とも。

式内社「楯縫神社」は、仁壽元年(851年)、正六位上に叙された。式内社「楯縫神社」の論社として、美浦村信太に同名の神社がある。

神領53町あまりを持っていたが、南北朝時代の興国元年(1340年)、北朝の高師冬の部下屋代信経による侵攻を受け無禄になったという。

室町時代の明応10年(1501年)、従三位に叙される。天文年間(1532-1555年)、木造狛犬が奉納されたという。現存しており、現在は村指定文化財。

文明8年(1476年)、天正17年(1589年)、嘉永7年(1854年)に再建の記録がある。現本殿は天正17年の造立で、近藤利勝の寄進と伝わる。

近世には信太郡東半33郷50余村の総社として、信太郡一宮を称した。ちなみに、二宮は普都神話を共有し、関係が深い阿見町竹来の阿彌神社

明治6年(1873年)、県社に列格される。明治41年(1908年)に大字須賀津の厳島神社(市杵島姫命)を合併した。

また、明治44年(1911年)に八幡神社(誉田別命)、愛宕神社(火産霊命)二社を、明治45年(1912年)、稲荷神社(宇賀御魂命)、折居神社(高龍命)、厳島神社(市杵島姫命)をそれぞれ境内社御龍社に合併した。

昭和40年(1965年)、拝殿が焼失し、古文書などを喪失した。

現在、大己貴命二座、須佐之男命、宇迦魂命二座、皇産靈命、市杵島姫命、熊野加夫呂岐命を配祀する。

例祭は5月15日。

【ご利益】
地域・家内安全、身体壮健、武運長久・勝運
楯縫神社(美浦村郷中) - 普津主神が甲楯を脱いだ楯脱山、室町期の木造狛犬、信太郡一宮
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楯縫神社(美浦村郷中)の御朱印