奈良期創建、米沢の町発祥、上杉鷹山が藩政改革と倹約を誓った社
白子神社(山形県米沢市城北2-3-25)
[住所]山形県米沢市城北2-3-25
[電話]0238-21-3482

白子神社(しらこじんじゃ)は、山形県米沢市城北にある神社。御祭神は火産霊命・埴山姫命。近世には白子大明神とも、養蚕の守護神として蚕霊宮とも。近代社格では県社。上杉神社のちょうど真北に鎮座する。参拝すれば、御朱印を頂ける。

社名は、この地に蚕が生じ、桑林が雪のように白くなったとの伝承による。蚕菅神社とも。また、当社門前に市が発生したことが、米沢の町の発祥ともされる。現在も粡町・立町などの町名にその名残をとどめる。

奈良時代の和銅5年(712年)の創建とされる。平安時代の承平2年(932年)、出羽国国司の小野良春により社殿が再建されたという。現存する鬼瓦は市の文化財に指定されており、この時のものともされる。

鎌倉時代の暦仁元年(1238年)、領主の長井時広により修理され、置賜郡総鎮守とされ、以後の伊達氏の時代にも崇敬された。

米沢城下、明神堂町北端にあたる当社は、文禄年間(1593年-1596年)に蒲生氏郷によって米沢城鎮守とされた。

その後米沢城主となった上杉景勝重臣の直江兼続や上杉氏からも引き続き崇敬された。慶長3年(1598年)には兼続が社殿の修理を行っている。

米沢藩主上杉氏から石高50石を拝領、明暦2年(1655年)には境内での寄宿、伐木、殺生を禁止されている。

寛文4年(1664年)に上杉綱勝の急死による上杉綱憲の末期養子相続で、米沢藩が30万石から15万石に半減されると、当社の石高も25石になった。

元禄6年(1693年)に正一位に叙されたという。江戸期には、「明神別当大行院」あるいは「宝珠寺」と呼ばれる別当寺があった。別当寺についてのその後は不詳。

明和4年(1767年)、家督を相続した上杉治憲(上杉鷹山)が藩政再建を目指した大倹を誓う血判誓詞2通を奉献し、同じく支藩米沢新田藩の上杉勝承及び米沢藩の江戸家老である色部照長も一通ずつ同様の誓詞を奉献している。

この鷹山の「倹約誓詞」は現存しており、市の文化財に指定されている。ちなみに、鷹山の誓詞は市内の春日神社にも存する。

一宮神社によれば、明和年間(1764年-1771年)、米沢城を境として、北の住民は当社、南の住民は一宮神社の氏子とする取り決めがなされ、現在もこれが続いているという。

9月の祭礼では綱引きの神事が行われていたという。当社に大しめ縄を寄進し、古いしめ縄を用いて東西に別れ、綱引きで米価を占うもの。

また、やはり祭礼では各町々から豪華な山車や大勢の囃子連が繰り出したとも。鷹山の倹約令を経ても続けられ、町人町の活気・意気を示す祭りとされた。

明治5年(1872年)に郷社に列す。大正6年(1917年)の米沢大火により社殿が焼失、大正13年(1924年)に再建される。昭和2年(1927年)、県社に昇格した。

【ご利益】
養蚕の守護神、五穀豊穣・商売繁盛、改革守護
白子神社(米沢市) - 奈良期創建、米沢の町発祥、上杉鷹山が藩政改革と倹約を誓った社
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白子神社(米沢市)の御朱印