熊野信仰が特に盛んな東北地方、その信仰の中心、宮城県名取市の神社三社
名取熊野三社 -
名取熊野三社(なとりくまのさんしゃ)とは、宮城県名取市に鎮座する熊野神社(熊野新宮社)・熊野本宮社・熊野那智神社の三つの神社の総称である。いずれも名取老女が、平安時代末期に紀州熊野を勧請した。

全国に3000社以上ある熊野神社のうち、およそ700社が東北地方に存在する。その東北の熊野信仰の中心的存在にあったのが名取熊野三社である。

仙台湾を熊野灘、名取川を熊野川、高舘丘陵を熊野連山に模し、本宮・新宮・那智の三社がそれぞれ別に勧請されている。

紀伊熊野三山のそれぞれを地理的・方角的に同様にセット状態で勧請しているのは非常に珍しく、全国でもここだけであるとされる。
熊野信仰の熱心な信者だった名取老女は、年老いたために紀州熊野への参詣が叶わなくなっていた。

同じころ熊野にある山伏が住んでいた。山伏が松島へ詣でようと準備をしていたところ、夢枕に熊野権現が現われて、東北に住む老女に伝えるようにと和歌を詠んだ。

「道遠し 程もはるかに 隔たれり 思ひおこせよ 我も忘れじ」

山伏が下向の途中いまの名取のあたりにさしかかると、確かに熊野権現のお告げのとおりの老女が住んでいた。老女は山伏から和歌を聞くといたく感激し、名取の地に紀伊熊野の分霊を勧請した。
平安時代末期の保安4年(1123年)のことであるという。

やがて奥州藤原氏と密接に関係し、その後は新宮社の別当寺である新宮寺で一切経編纂事業が起こり、多くの寺社が参加した。さらに後には、近世末まで伊達家の崇敬も受けた。

名取市下余田地区には、名取老女の墓と伝えられる場所がある。また、その近隣には、名取老女が現在の鎮座地に祀られる前に勧請したという説のある熊野新宮神社、熊野本宮神社、熊野那智神社の熊野三社が個人敷地内に現在も鎮座している。

現在は三社めぐりも行われている。全行程4時間程度とされ、1万6000歩ほどの距離だという。詳しくはこちらから。

熊野神社(名取市)

熊野神社(名取市) - 東北地方の熊野信仰の中心地、伊達家と繋がり、熊野堂神楽・舞楽
[説明]東北熊野の中心、熊野堂神楽・舞楽
[住所]名取市高舘熊野堂字岩口上51
[電話]022-386-2824

熊野本宮社(名取市)

熊野本宮社(名取市) - 頼朝が必勝祈願して霊験を得た、室町期以来の熊野堂十二神鹿踊
[説明]源頼朝が祈願、熊野堂十二神鹿踊
[住所]名取市高舘熊野堂字五反田34
[電話]022-386-2353

熊野那智神社(名取市)

熊野那智神社(名取市) - 津波と関係? 奈良期創建の名取熊野三社、縁結びとサッカー
[説明]奈良期創建、縁結びとサッカー祈願
[住所]名取市高舘吉田舘山8
[電話]022-384-7543

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