頼朝が必勝祈願して霊験を得た、室町期以来の熊野堂十二神鹿踊
熊野本宮社(宮城県名取市高舘熊野堂字五反田34)
[住所]宮城県名取市高舘熊野堂字五反田34
[電話]022-386-2353

熊野本宮社(くまのほんぐうしゃ)は、宮城県名取市高舘熊野堂にある神社。熊野神社熊野那智神社とともに名取熊野三社の一つ。本宮十二神とも。参拝すれば、御朱印を頂ける。

熊野櫛御家都御子大神、熊野牟須美大神、熊野速玉之男大神を主祭神とし、他に11柱神を配祀する。

名取老女が勧請した名取熊野三社の一社として、平安時代の保安元年(1120年)に創建された。

創建当時は現社地より500メートルほど南西の小館という小高い丘に鎮座していた。また地名も紀州熊野本宮大社の大齋原になぞらえて大原と称していたという。

源頼朝が奥州平泉征伐の際、当社に武運を祈願し、実際に霊験を得られたため、文治5年(1189年)9月にお礼参りし、深く謝拝したと伝えられている。

それ以来武家諸公の崇敬が篤く、永禄6年(1563年)12月、奥州探題伊達晴宗より当宮本殿屋根葺替並びに神輿、神馬、馬具などが奉納されている。

江戸時代になり、万治元年(1658年)に現社地に遷座。元禄3年(1690年)4月8日の祭礼以後、伊達仙台藩から毎年玄米3石5斗を拝領することになった。

現本殿は元禄6年(1693年)の建立で、同時に長床、鐘楼、神輿殿などの建物が建てられた。昭和8年(1933年)には拝殿・社務所・摂社が建設され、昭和58年(1983年)に本殿を営繕し、幣殿・社務所の建替え整備が行われた。

社地の前には熊野本宮大社の傍を流れる川に見立てた音無川が存在する。

例祭は4月第3月曜日が春季例祭、10月第1日曜日が秋季例祭。熊野新宮社と深く関わる神事として、北釜へのお浜降りや流鏑馬などがあったが、現在は行われていない。

当社には古く山伏によって伝えられたという市指定無形民俗文化財の熊野堂十二神鹿踊が保存、継承されている。春秋の例祭で奉納される。

室町時代の文安年間(1444年-1449年)に米沢の屋代郷から山伏修験者によって伝えられたとされる。江戸時代末期に一時中断されたが、明治になって伊藤弥平が再興した。

もともとは「高舘十二神鹿踊」と言われ、伎楽系の二人立ちの獅子踊りとは異なり、旧仙台藩内に分布する一人立ち羯鼓踊りの多頭立ての一種。

古くは主に、盆のころに祖霊供養のために舞われたと言われている。現在は五穀豊饒を祈念して例祭の時に舞われる。

【ご利益】
五穀豊穣・商売繁盛、無病息災、厄災除け、武運長久
熊野本宮社(名取市) - 頼朝が必勝祈願して霊験を得た、室町期以来の熊野堂十二神鹿踊
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