津波と関係? 奈良期創建の名取熊野三社、縁結びとサッカー
[住所]宮城県名取市高舘吉田舘山8
[電話]022-384-7543
熊野那智神社(くまのなちじんじゃ)は、宮城県名取市の高舘山にある神社。熊野神社・熊野本宮社とともに名取熊野三社の一つで、近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
主祭神は羽黒飛龍神・伊弉冉尊で、相殿に黄泉事解男命・国常立尊・伊弉諾尊・天照皇大神を配祀する。
伝承によれば、奈良時代の養老3年(719年)、閖上浜の漁師が海底から御神体を引き上げたところ、その光の輝きの止まる所が高舘山であったことから、そこに社を建て羽黒飛龍神として祀ったという。
その後、名取老女の熊野三神勧請にあたり、那智の御分霊を当社に合祀し、現社号に改称した。近世は伊達家の厚い崇敬を受けて、社殿の造営や社地の寄進などを受けた。
明治元年(1868年)、神仏分離での破壊を危惧し、社殿に奉納されていた御正体である懸仏などが関係者によって密かに埋められた。
明治31年(1898年)7月、拝殿移築の際、床下から再発見された。このうち、懸仏・銅鏡41点が国の重要文化財、懸仏・銅鏡114点が県指定有形文化財となっている。
かつては御神体が揺り上がった場所である閖上浜までの浜降り神事が行われ、正月には「カラスゴ(牛王宝印)」を氏子に配布していた。
牛王宝印は平成24年(2012年)夏頃より社務所にて参拝客に配布されるようになった。図柄は熊野速玉大社のものと同様。
主祭神である伊弉冉尊と相殿神の伊弉諾尊の二柱は、天地万物の化生の力である「結び(産霊)の力」を司る夫婦神で、当社は「結びの社」として様々な縁結びにご利益があるとして、パワースポット化している。
また、全国各地の熊野神社では多くの例が見られるが、当社でも守神を八咫烏と位置付け、日本サッカー協会のシンボルマークになっていることから、サッカーの必勝祈願・勝運のご利益があるとしている。
境内に鳥居は存在せず、鐘堂が境内にあるなど、神仏習合の影響が色濃く残る。表参道の石段を登り切った所には神門が存在する。
境内には高さ32メートル、幹の周囲5.2メートル、樹齢800年以上の杉の御神木「山一」がある。この巨木は名取市街からも視認できるとされる。
神門のそばには高野槇の大木がある。高野槙は熊野信仰や高野山・金剛峰寺信仰と関係が深い樹木とされていることから当社に植えられたという。
境内には、名取に熊野三社を勧請した名取老女を祀る老女之社、御神体を拾った漁師の治兵衛を祀る治兵エ之社などの石祠がある。
社殿南側には鐘堂がある。そばには階段があり、その先には紀州の那智滝を模した那智滝と飛瀧神社(大巳貴命)、飛龍権現の本地仏である不動明王を祀る不動堂が鎮座している。
裏参道に当たる高舘城跡入口付近には、那智山紹樂寺観音堂が鎮座する。御本尊は創建由緒にある秘仏「那智十一面観音」。
高舘小学校付近の「五方の辻」と呼ばれる分かれ道に、仮宮(遥拝所)が存在する。遥拝殿内には「浜下り神事」に使われる御神輿が2基安置されている。
高舘山の高台に鎮座するため、遠く太平洋、北には牡鹿半島・金華山、中央の海岸線は閖上町、南は岩沼、亘理、山下方面まで見渡せる。つまり、東日本大震災で被害が大きかった地域。
一説によれば、当社の創建や名取熊野三社の勧請について、熊野信仰がこの名取の山岳丘陵一体に根付いた背景には、当地における過去の大規模な津波被害が関係しているともいう。
【ご利益】
縁結び・家内安全・厄災除け・開運招福・交通安全

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熊野那智神社(くまのなちじんじゃ)は、宮城県名取市の高舘山にある神社。熊野神社・熊野本宮社とともに名取熊野三社の一つで、近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
主祭神は羽黒飛龍神・伊弉冉尊で、相殿に黄泉事解男命・国常立尊・伊弉諾尊・天照皇大神を配祀する。
伝承によれば、奈良時代の養老3年(719年)、閖上浜の漁師が海底から御神体を引き上げたところ、その光の輝きの止まる所が高舘山であったことから、そこに社を建て羽黒飛龍神として祀ったという。
その後、名取老女の熊野三神勧請にあたり、那智の御分霊を当社に合祀し、現社号に改称した。近世は伊達家の厚い崇敬を受けて、社殿の造営や社地の寄進などを受けた。
明治元年(1868年)、神仏分離での破壊を危惧し、社殿に奉納されていた御正体である懸仏などが関係者によって密かに埋められた。
明治31年(1898年)7月、拝殿移築の際、床下から再発見された。このうち、懸仏・銅鏡41点が国の重要文化財、懸仏・銅鏡114点が県指定有形文化財となっている。
かつては御神体が揺り上がった場所である閖上浜までの浜降り神事が行われ、正月には「カラスゴ(牛王宝印)」を氏子に配布していた。
牛王宝印は平成24年(2012年)夏頃より社務所にて参拝客に配布されるようになった。図柄は熊野速玉大社のものと同様。
主祭神である伊弉冉尊と相殿神の伊弉諾尊の二柱は、天地万物の化生の力である「結び(産霊)の力」を司る夫婦神で、当社は「結びの社」として様々な縁結びにご利益があるとして、パワースポット化している。
また、全国各地の熊野神社では多くの例が見られるが、当社でも守神を八咫烏と位置付け、日本サッカー協会のシンボルマークになっていることから、サッカーの必勝祈願・勝運のご利益があるとしている。
境内に鳥居は存在せず、鐘堂が境内にあるなど、神仏習合の影響が色濃く残る。表参道の石段を登り切った所には神門が存在する。
境内には高さ32メートル、幹の周囲5.2メートル、樹齢800年以上の杉の御神木「山一」がある。この巨木は名取市街からも視認できるとされる。
神門のそばには高野槇の大木がある。高野槙は熊野信仰や高野山・金剛峰寺信仰と関係が深い樹木とされていることから当社に植えられたという。
境内には、名取に熊野三社を勧請した名取老女を祀る老女之社、御神体を拾った漁師の治兵衛を祀る治兵エ之社などの石祠がある。
社殿南側には鐘堂がある。そばには階段があり、その先には紀州の那智滝を模した那智滝と飛瀧神社(大巳貴命)、飛龍権現の本地仏である不動明王を祀る不動堂が鎮座している。
裏参道に当たる高舘城跡入口付近には、那智山紹樂寺観音堂が鎮座する。御本尊は創建由緒にある秘仏「那智十一面観音」。
高舘小学校付近の「五方の辻」と呼ばれる分かれ道に、仮宮(遥拝所)が存在する。遥拝殿内には「浜下り神事」に使われる御神輿が2基安置されている。
高舘山の高台に鎮座するため、遠く太平洋、北には牡鹿半島・金華山、中央の海岸線は閖上町、南は岩沼、亘理、山下方面まで見渡せる。つまり、東日本大震災で被害が大きかった地域。
一説によれば、当社の創建や名取熊野三社の勧請について、熊野信仰がこの名取の山岳丘陵一体に根付いた背景には、当地における過去の大規模な津波被害が関係しているともいう。
【ご利益】
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