三木城主別所氏の崇敬社、1月には近在にない大規模などんと焼き
伊弉冊神社(兵庫県明石市岬町19-8)
[住所]兵庫県明石市岬町19-8
[電話]078-911-3931

伊弉冊神社(いざなみじんじゃ)は、兵庫県明石市岬町にある神社。佐奈岐神社とも。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 播磨国 明石郡「伊和都比売神社」、あるいは「弥賀多多神社/弥賀多々神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社

主祭神は伊弉册大神素盞嗚大神屋船豊受大神猿田彦大神・福福三宝荒神(火結大神)を配祀する。

第10代崇神天皇6年の勧請と伝わる。第49代光仁天皇の時代、奈良時代の宝亀2年(771年)、境内地四丁四方が赦免地となったという。

室町時代から戦国時代にかけて、三木城主別所氏の崇敬が厚く、社領55石が寄進され、祭典や営繕に当ったと言われている。

嘉吉年間(1441年-1443年)の赤松氏による和阪の戦(嘉吉の乱)、天文年間(1532年-1554年)の町野入道による放火、天文年間(1532年-1555年)の羽柴秀吉による三木合戦などで兵火に罹り、社殿・旧記をことごとく焼失した。

天正年間(1573年-1591年)、減地となったが、東城に小祠(祇園社)を建て、御旅所とした。西城にも小祠(賀神社)を建て、東西の神域の境界とした。この頃の境内地域は、東西に連なる松林で「さなぎの森」と呼ばれた。

明治12年(1879年)、県社に列せられる。昭和20年(1945年)、太平洋戦争の戦災により社殿、社務所一切の建物を焼失したが、昭和37年(1962年)に社殿が再建された。

例祭は10月第2土・日曜日で、例大祭であり、神輿海上渡御、神幸式がある。

1月15日に近い日曜日には明石浦漁協組合員の奉仕による近在にない大規模な左義長(とんど祭)がある。年の始め勇壮な「勢」を得られるとして、見学者も多いという。

明石郡の式内社「伊和都比売神社」の論社は他に、明石市大蔵本町の稲爪神社やその境内社、明石市材木町の岩屋神社がある。播磨国赤穂郡にも同名の式内社があり、伊和都比売神社などが論社。

「弥賀多多神社」の論社は他に、岩屋神社の他、神戸市西区平野町の堅田繁田黒田に三社の堅田神社がある。

【ご利益】
子宝・安産、地域・家内安全、水難除け、大漁満足
伊弉冊神社 兵庫県明石市岬町
【関連記事】
左義長・どんど焼きとは? - 小正月に正月飾りを焼き上げる行事、日本三大左義長・日本一
兵庫県の旧県社 | 府県社とは? - 旧県社(縣社)・旧府社、その都道府県の中で有力な神社
兵庫県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、兵庫県に鎮座している神社の一覧
伊弉冊神社(明石市)の御朱印