三韓から侵攻してきた将軍を稲妻により撃退した大三島を勧請、数々の神事
[住所]兵庫県明石市大蔵本町6-10
[電話]078-911-3143

稲爪神社(いなづめじんじゃ)は、兵庫県明石市大蔵本町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 播磨国 明石郡赤穂郡の「伊和都比売神社」、明石郡の「宇留神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。

第33代推古天皇の時代、不死身と言われた鉄人を大将とした三韓の軍勢が日本に攻めてきたが、九州では退治できなかった。

四国の伊予の役人、小千益躬(越智益躬)が退治せよという命令を受け、一族の守り神「三嶋大明神」に祈った。

すると、神が現れ、「鉄人の弱みは、鎧兜で守られていない足の裏だから、これを矢で射よ」と言われた。益躬は、鉄人に降参したふりをして、京へ向かう先導役となった。

明石の浜で鉄人たちが休息をした時、空が突然曇り、稲妻がとどろき、驚いた馬から鉄人が落ち、足の裏を見せたので、益躬は弓矢で足裏を射て、鉄人を殺し、軍勢を撃退した。

この矢を「鬼ざしの矢」という。益躬は、神の現れたこの地に社を建て、三嶋大明神、つまり伊予大三島の大山祇神社を勧請して、稲妻神社と名付け、後に社号は現在のものに変わった。

御祭神は、大山祇命面足命惶根命・伊和都比売命(伊和都比売神)・奥津比古命奥津比売命・宇留命。

当社から東に800メートルの大蔵八幡町の八幡神社は、もとは小千神社、あるいは越智神社といい、当社創建者の益射が祀られている。益躬の子である武男による創建と伝わる。

東播磨地域では、海神社岩屋神社とともに古大社として知られたが、天正6年(1578年)、高山右近の大蔵谷城攻めの兵火により社殿は焼失し、北方に遷座し、そこを仮宮とした。

寛永14年(1637年)、社殿が再建され元の地に遷座し、仮宮のあった場所には明石藩主・松平光重が熊野三社権現を勧請し、現在は当社摂社の熊野皇神社。

昭和52年(1977年)、失火によって社殿が焼失したが、昭和54年(1979年)に再建された。例祭は10月。下記のような数々の神事が残る。

神社の縁起を伝える神事として、大蔵谷の牛乗りがある。鉄人の連れてきた牛とされ、小千益躬に扮した人が牛に乗る。牛乗りが撤く福銭を拾うと幸せになるという。

やはり江戸時代から伝わる大蔵谷の囃口流しもある。当時の風俗を面白おかしく歌い上げた庶民のはやり歌で、編み笠を被った浴衣姿の女性が三味線を弾き、浴衣姿の男性が扇子で顔を隠しながら歌う。

牛乗りとともに、市指定無形文化財。

江戸時代に確立された神楽獅子舞が残る。県指定無形民俗文化財。だんじりの屋根で、荒々しく舞い狂いある時は繊細な動き、また天狗との絡み、最後には手に汗を握る三人継ぎの大技が披露される。

境内には稲爪浜恵比須神社がある。明石郡の式内社「伊和都比売神社」の論社とされる場合がある。明石郡の「伊和都比売神社」の論社は他に、明石市岬町の伊弉冊神社、明石市材木町の岩屋神社がある。

また、赤穂郡の式内社「伊和都比売神社」の論社は他に、赤穂市御崎に式内同名神社がある。式内社「宇留神社」の論社は他に、神戸市西区平野町の春日神社、神戸市西区押部谷町の住吉神社がある。 

斜め前には、休天神社がある。

【ご利益】
地域・家内安全、武運長久、水難除け、海上安全(公式HP
稲爪神社 兵庫県明石市大蔵本町
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稲爪神社の御朱印