天地大明神、伊弉諾尊の幽宮の伝承、1月に島内一の賑わいの十日戎
[住所]兵庫県淡路市岩屋799
[電話]0799-72-3155
石屋神社(いわやじんじゃ)は、兵庫県淡路市岩屋にある神社。御祭神は、国常立尊・伊弉諾尊・伊弉冉尊。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 淡路国 津名郡「石屋神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
もとは現在地の300メートルほど北にある三対山(城山)にあった。三対山の北側には伊弉諾尊が隠れたという幽宮とされる洞窟があり、伊弉諾神宮の摂社である岩楠神社がある。
第10代崇神天皇の御代、絵島明神とも呼ばれ奉斎された。絵島とは、三対山の麓、岩屋港にある小島の名前。第11代垂仁天皇の御代、石屋明神と呼ばれた。
神功皇后が三韓征伐の際、対岸の明石垂水の浜で風波に遭い、渡海に難渋して風待ちのため岩屋に着岸した。
この際、三対山上の石屋明神に参拝し、戦勝を祈願し、下記の歌を献じると、風波が止み、海上は静まったという。
平安時代末期の源平争乱の際、近辺は兵火にかかり、当社も多くの什宝・古記録が焼失した。
後土御門天皇(在位1464年-1500年)の御代、室町時代に大内義興による築城の際に、現在地の岩屋海水浴場に面する地に遷座した。
江戸時代になり、池田氏が淡路を領した際に社殿を再興し、また寛政8年(1796年)には徳島藩第11代藩主蜂須賀治昭が参拝している。明治6年(1873年)2月に郷社に列した。
春分・秋分の日には、社殿で鳥居の中央から昇る日の出を見ることが出来る。本殿の天井には淡路に三つしかない、干支をあしらった方位磁石が見られる。
幅50メートルもある長屋式門がシンボル。社殿向かって左側に八百萬神社が、右側に稲荷神社がある。
1月10日には十日戎が行われ、淡路島内一の賑わいという。毎年3月第2日曜日には浜芝居(えびす舞)が行われる。春祭りが毎年5月第2土・日曜日、秋祭りが毎年9月第2土・日曜日。
国生みの発端の地の気概を感じさせるお姿で、淡路島の岩屋界隈のパワースポット、スピリチュアルスポットとして雑誌やメディアに取り上げられることも多い。
【ご利益】
水難除け、海上・交通安全、諸願成就、商売繁盛
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石屋神社(いわやじんじゃ)は、兵庫県淡路市岩屋にある神社。御祭神は、国常立尊・伊弉諾尊・伊弉冉尊。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 淡路国 津名郡「石屋神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
もとは現在地の300メートルほど北にある三対山(城山)にあった。三対山の北側には伊弉諾尊が隠れたという幽宮とされる洞窟があり、伊弉諾神宮の摂社である岩楠神社がある。
第10代崇神天皇の御代、絵島明神とも呼ばれ奉斎された。絵島とは、三対山の麓、岩屋港にある小島の名前。第11代垂仁天皇の御代、石屋明神と呼ばれた。
神功皇后が三韓征伐の際、対岸の明石垂水の浜で風波に遭い、渡海に難渋して風待ちのため岩屋に着岸した。
この際、三対山上の石屋明神に参拝し、戦勝を祈願し、下記の歌を献じると、風波が止み、海上は静まったという。
いざなぎや いざなみ渡る 春の日に いかに石屋の 神ならば神現在の扁額には天地大明神とあるが、これは第78代二条天皇の長寛元年(1164年)の勅定にちなむもの。
平安時代末期の源平争乱の際、近辺は兵火にかかり、当社も多くの什宝・古記録が焼失した。
後土御門天皇(在位1464年-1500年)の御代、室町時代に大内義興による築城の際に、現在地の岩屋海水浴場に面する地に遷座した。
江戸時代になり、池田氏が淡路を領した際に社殿を再興し、また寛政8年(1796年)には徳島藩第11代藩主蜂須賀治昭が参拝している。明治6年(1873年)2月に郷社に列した。
春分・秋分の日には、社殿で鳥居の中央から昇る日の出を見ることが出来る。本殿の天井には淡路に三つしかない、干支をあしらった方位磁石が見られる。
幅50メートルもある長屋式門がシンボル。社殿向かって左側に八百萬神社が、右側に稲荷神社がある。
1月10日には十日戎が行われ、淡路島内一の賑わいという。毎年3月第2日曜日には浜芝居(えびす舞)が行われる。春祭りが毎年5月第2土・日曜日、秋祭りが毎年9月第2土・日曜日。
国生みの発端の地の気概を感じさせるお姿で、淡路島の岩屋界隈のパワースポット、スピリチュアルスポットとして雑誌やメディアに取り上げられることも多い。
【ご利益】
水難除け、海上・交通安全、諸願成就、商売繁盛
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