大坂城の鬼門守護、野見宿禰と道真ゆかり、秀頼造営の本殿、アテルイの首塚
[住所]大阪府枚方市牧野阪2-21-15
[電話]072-857-7775
片埜神社(かたのじんじゃ)は、大阪府枚方市にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 河内国 交野郡「片野神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
社伝によれば、第11代垂仁天皇の時代に、出雲国の豪族である野見宿禰が、当麻蹴速との相撲に勝った恩賞として当地を拝領し、出雲の祖神である素盞鳴尊を祀って一族の鎮守としたのに始まる。
社家の岡田家は野見宿禰の後裔。
片埜(片野、交野)はこの一帯の古名で、交野市の地名の由来。平安時代の中期、野見宿禰の後裔である菅原道真が天神として祀られるようになると、天徳4年(960年)に当社でも道真が配祀された。
かつては広大な社地を有し、「交野の御野」「牧野の桜」と呼ばれる桜の名所として歌枕ともなっていた。当社は「河州一之宮」と称すが、実際は交野郡の一宮。河内国一宮は枚岡神社。
戦国時代の戦乱で荒廃したが、豊臣秀吉によって復興され、大坂城の鬼門の方角にあることから鬼門鎮護の社とされた。
大坂城天守の北東の石垣に鬼面を刻み、当社と対面させたという。慶長7年(1602年)には、子の秀頼によって本殿、拝殿などの社殿が大造営された。そのうち本殿と南門が現存し、本殿は国の重要文化財に指定されている。
この時の造営では、交野郡の一宮である当社の他、二宮(舟橋の二ノ宮神社)、三宮(穂谷の三ノ宮神社)も修復している。
大坂城の鬼門除けであることから、現在でも方除・厄除の神として信仰されている。またこれらのことにより、鬼は当社の象徴・守り神とされている。
境内に鬼面が安置され、絵馬や御朱印にも鬼面が描かれており、節分の豆まきでは「鬼は内」と唱える。
江戸時代までは「一宮牛頭天王」を正式名称としていたが、明治時代に現社号に復した。
明治時代に、粟倉神社、百済王神社、御狩神社、八幡神社、道祖神社と各大字の産土神社、そして式内社「久須須美神社」を合祀した。
式内社「久須須美神社」は旧坂村字九頭神の氏神だった。鎮座地は当社の南東の現在の牧野本町1丁目7番地あたり。
神社本庁『平成祭礼データ』では、御祭神の久須須美神は櫛御気野神・家津御子神・熊野櫛御毛奴神・熊野加武呂乃神などと異名同神としている。
本殿や、府の文化財に指定されている南門の他、無銘ながら鎌倉時代の作とされる石造灯籠や、室町時代の作とされる東門が府指定文化財。
境内に隣接する牧野公園はかつては当社の社地の一部で、公園敷地の中央にある塚はアテルイやその腹心であるモレの首塚であると伝えられている。現在、石碑が建立されている。
近年は当社や岩手県人会らにより毎年慰霊祭が行われている。また、アテルイと坂上田村麻呂の友情・ライバル関係から、友情・結縁のアテルイ御守を授与している。
例祭は10月15日。1月9日-11日に枚方えびす祭があり、その後にどんと焼きが行われる。12月13日がお火焚祭で、みかん撒きが行われる。
境内社に、依姫社(玉依姫命・大国主命・市寸島姫命)、稲荷社(保食神・武甕槌神・経津主神・天児屋根命・比咩大神・品陀和気命・久那戸神)がある。
境外社に、朝原神社(猿田彦命)、瘡神社(火酢芹命)がある。瘡神社は、道真が大宰府へ向う途中、当地で道真の馬が病気で倒れた伝承が残る。
【ご利益】
厄災除け、学業・受験合格、友情・結縁、旅行・交通安全
【関連記事】
・岡田桃子『嫁いでみてわかった! 神社のひみつ (祥伝社黄金文庫)』 - 片埜神社権禰宜
・大阪府の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、大阪府に鎮座している神社の一覧
[電話]072-857-7775
片埜神社(かたのじんじゃ)は、大阪府枚方市にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 河内国 交野郡「片野神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
社伝によれば、第11代垂仁天皇の時代に、出雲国の豪族である野見宿禰が、当麻蹴速との相撲に勝った恩賞として当地を拝領し、出雲の祖神である素盞鳴尊を祀って一族の鎮守としたのに始まる。
社家の岡田家は野見宿禰の後裔。
片埜(片野、交野)はこの一帯の古名で、交野市の地名の由来。平安時代の中期、野見宿禰の後裔である菅原道真が天神として祀られるようになると、天徳4年(960年)に当社でも道真が配祀された。
かつては広大な社地を有し、「交野の御野」「牧野の桜」と呼ばれる桜の名所として歌枕ともなっていた。当社は「河州一之宮」と称すが、実際は交野郡の一宮。河内国一宮は枚岡神社。
戦国時代の戦乱で荒廃したが、豊臣秀吉によって復興され、大坂城の鬼門の方角にあることから鬼門鎮護の社とされた。
大坂城天守の北東の石垣に鬼面を刻み、当社と対面させたという。慶長7年(1602年)には、子の秀頼によって本殿、拝殿などの社殿が大造営された。そのうち本殿と南門が現存し、本殿は国の重要文化財に指定されている。
この時の造営では、交野郡の一宮である当社の他、二宮(舟橋の二ノ宮神社)、三宮(穂谷の三ノ宮神社)も修復している。
大坂城の鬼門除けであることから、現在でも方除・厄除の神として信仰されている。またこれらのことにより、鬼は当社の象徴・守り神とされている。
境内に鬼面が安置され、絵馬や御朱印にも鬼面が描かれており、節分の豆まきでは「鬼は内」と唱える。
江戸時代までは「一宮牛頭天王」を正式名称としていたが、明治時代に現社号に復した。
明治時代に、粟倉神社、百済王神社、御狩神社、八幡神社、道祖神社と各大字の産土神社、そして式内社「久須須美神社」を合祀した。
式内社「久須須美神社」は旧坂村字九頭神の氏神だった。鎮座地は当社の南東の現在の牧野本町1丁目7番地あたり。
神社本庁『平成祭礼データ』では、御祭神の久須須美神は櫛御気野神・家津御子神・熊野櫛御毛奴神・熊野加武呂乃神などと異名同神としている。
本殿や、府の文化財に指定されている南門の他、無銘ながら鎌倉時代の作とされる石造灯籠や、室町時代の作とされる東門が府指定文化財。
境内に隣接する牧野公園はかつては当社の社地の一部で、公園敷地の中央にある塚はアテルイやその腹心であるモレの首塚であると伝えられている。現在、石碑が建立されている。
近年は当社や岩手県人会らにより毎年慰霊祭が行われている。また、アテルイと坂上田村麻呂の友情・ライバル関係から、友情・結縁のアテルイ御守を授与している。
例祭は10月15日。1月9日-11日に枚方えびす祭があり、その後にどんと焼きが行われる。12月13日がお火焚祭で、みかん撒きが行われる。
境内社に、依姫社(玉依姫命・大国主命・市寸島姫命)、稲荷社(保食神・武甕槌神・経津主神・天児屋根命・比咩大神・品陀和気命・久那戸神)がある。
境外社に、朝原神社(猿田彦命)、瘡神社(火酢芹命)がある。瘡神社は、道真が大宰府へ向う途中、当地で道真の馬が病気で倒れた伝承が残る。
【ご利益】
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